某国に来てしまった・・・の巻
2002年秋 突然の某国転勤命令!台湾に深い縁があり また台湾機フリークの私にとって 台湾の仮想敵国でしかも侵略の脅威を与え続けてきた某国に転勤になるなんて とても想像していなかったことであった。(というより 派遣対象者リストに入らぬように手を打ったつもりだったのに・・)第一 写真取れないジャン!!某国といえば 私が抱いていたイメージとして天安門と自転車で溢れる大通りぐらいかな・・共産党国家で誰も言いたいこといえない暗い社会!なんて感じかな・・暗い気持ちで某国に向かった私。

 ところがどっこい!!来て見てびくっらこいた。近代的でハイセンスな都市じゃないの北京は・・・溢れる自転車?確かに自転車も走っているが溢れているのは車車車、渋滞は東京以上だね!北京の人は見栄っ張り!大きい車が好きなもんだから軽自動車は非常に少ない。 アウディ、BMW、VWといったドイツ車が一番多く感じるけど 最近は日本車、アメリカ車、韓国車も健闘している。しかし 日本車に対する信頼性は神話のように強いものがあり 今後日本車はかなり伸びていきそうだ。最近では三菱のスペースギアがだいぶ目立つようになってきた。話が大分ずれちゃった・・北京は歴史のある街だけど ドンドン古い町並みが壊され近代的なビル郡に取って代わっている。街を走るメインストリートは片側4〜5車線の太い道 南北を碁盤の目のように走る大通りの他 紫禁城を中心に 波紋のように北京を囲む外環自動車道路があり すでに第6環状道路まで建設中である。ちなみに第3環状道路が東京の山手線一周(34Km)よりやや長い44Km。こんなに大きな道たくさん作っても渋滞するのは、東京みたいにJR/地下鉄などのインフラが不足しているからなのよ! また 暮らしの面で言うと 一般的に人々は言いたい事言って生活している!共産党の悪口も言いたい放題、ハハハ 聞いてると笑っちゃうね・・

 
左が 北京市の概要である。わかりやすく言うと東京都の8倍の面積を持つ北京市は、東京都と千葉、埼玉、神奈川、茨城、山梨なども含めた関東圏に匹敵する広さである。
 左地図のへそに当たる「赤い部分」が北京の中心である市街地、この部分だけでも東京23区よりずっと広い。

 市街地を中心に「城市8区」と呼ばれる都市化された8つの区が北京の近代的街を構成し それ以外は城市外10区域といって 2つの県を含む8つの区からなっている。こっちの方は農村が中心である。

 周りを河北省に囲まれた特別行政区で「省」には属さない。だいたい緯度で言うと日本の岩手県ぐらいの位置であり 冬の寒さは厳しいが なんと周りを山に囲まれた盆地状の町のため夏は京都並みの暑さでこれまた厳しい。秋と春が極端に短く感じられ 冬が終わるとすぐ夏が繰るような季節の変わり目が早い。

 経度で言うと台湾よりずっと西に位置し 日が昇るのは沖縄より遅い。日本との時差は1時間。アメリカでは全土を確か3地域ぐらいに分割して時差を設けているが、この広い中国で西も東も時間は1つで統一されている。
天津市も省に属さない特別行政区で北京の南にあり 隣接している。高速道路で2時間半で天津市の中心街までいける。
北京・天津を囲む河北省は、九州の3倍はあろうかと言う大きな面積を有す。
あれから 8年も経ってしまっただ・・・の巻
最初は、「順調なら3年ぐらいは、やってもらう」などと説明をもらって そのつもりでやって来た。その内 赴任期間の話などどこかへ無くなってしまい。5年を経過した頃には、帰任は何時位になるか聞いても お茶を濁したように「当面 変わりになるような人材もいないので これから先も頑張ってもらいたい」みたいな 無期懲役宣告に近い話が返って来るようになってしまった。確かに ここ某国では現地とのコミュニケーションがスムーズで 習慣も仕事の進め方も心得てしまった人物は、どの会社でも長期滞在になるか 任期で一度日本に帰国しても また数年で某国にカムバックと言うケースが多い。逆に社会の風土や習慣に慣れない人は、2年でギブアップとなる。私の場合も 某国での事業が拡大すればするほど ますます帰る可能性が遠のくような状況のまま 8年を過ぎてしまった。あ〜ぁ このまま定年までいることになるのかな・・・

この8年の間 公私にわたり実に色々なことがあったが 某国で言えば 毎日 目まぐるしいまでの社会の変化に 過去急速な経済成長を経験した我々日本人ですら驚くほどであり、絶え間なく成長しようとする人と社会のダイナミックな力に圧倒される、日本から仕事に来た若者たちも 閉塞感の強い自国に比べ 良い意味で自由闊達で勢いもある某国に魅力を感じる人が多い。しかし経済の発展に 人と様々な制度が付いていけない現実もあり 矛盾や不公平も渦巻く社会でもある。 共産主義などというのは”言葉だけが残っている”状態 まったく完全なる資本主義というか拝金主義ともいえるほど 金が物を言う社会に成り上がって(成り下がって?)しまった。金さえあれば人脈を駆使して死刑判決でも覆せる、金が無ければ 救急車にも乗せてもらえず 病院でも緊急治療も受けられない・・まったく 欧米や日本では考えられないようなことさえ 現実には多いのである。いち早く資本主義を取り入れ経済発展を遂げた日本であるが 社会的平等を徹底的に追求してきた結果 逆に日本のほうが マルクスが標榜した共産主義 社会主義における模範生なのかもしれない。 昔 誰かが言ってたな・・「もし 日本が共産主義の国なら 世界で最も成功した共産主義国となったであろう」 その通り!

だいたい 共産主義なんて制度や考えは、某国人民の性格からして 一番似つかわしくない主義である。すでに 一党独裁のための教条程度の存在である。何処に行ったの共産主義?なんなのだ。国家や社会そのものを自分と自分の家族、親戚のために存在していると考える某国人民は、制度などあっても 自分の都合のよいようにしか解釈しない。ましてや 政府のため国家のためなどと本気で考えている某国人など レアメタルより希少かもしれない。では何故 共産党一党独裁体制が崩れないか。それは、何よりも人々が今の安定した生活を維持したいためで 今、政変なんて起こってもらっては困るからである。政変はイコール内戦に繋がりやすい 内戦になれば 今やっと手に入れたものまで失ってしまう可能性が高い、経済も落ち込めば 給与だって保障されない。政府批判の言論統制ぐらいを我慢していれば あとはほとんど自由だから それでいいのである。

どの道 某国の民は、自ら誇る数千年の歴史で そのほとんどの時期を封建社会の中で生き 皇帝や地方の王族の支配に慣らされてきた、いまや 皇帝が共産党に変わっただけである。封建社会では、民が政治に参加するなんて事はまったく考えられない。制度や政策は支配者が好き決める、結果駄目だったら他国に滅ばされるだけである。他国に支配されても 民はそれに従うだけであるから だいたいにして上から制度が降って来るのを待っているだけで 物を考える必要が無い。権力者も 民は、愚民であればあるほど扱いやすいため ろくな教育制度も作らない。官僚をさせる一握りのエリート集団が出来ればそれでいいのである。一般に民主主義なんてものが根付くのには100年はかかると言うが 政治にかかわるよりも 明日どうやって食っていくか どう儲けるかの方が よっぽどの関心事である。某国民が選挙を通じ間接的にも政治を主導するなんて概念が 根付くとしたら あと100年ぐらいかかるかもしれない。

百家争鳴と言う つまり百人いれば百人が異なる意見を持って自己の正当性を主張するみたいな意味である。某国民は、3人集まれば意見が3つでまとまらない。自己主張が強すぎて 集団としての統制が取り難いという習性がある。「日本人は、1人だと虫けらだが 3人集まれば龍になる。某国人は、1人であれば龍だが 3人集まれば虫けらになる」なんて言われてます。自分が一番と思っている連中が多いので 集団では、纏まりのよい日本人にはかなわないと彼ら自身も認識しているのである。だからこそ 下手に知識を与えてこ知恵が付くと統制しずらいために 支配者は昔から愚民政策を徹底し 教育に制限を加えてきた。日本は、江戸時代には寺子屋を始め 庶民の教育制度も整備され 明治時代に徹底した教育制度を確立したため 周辺諸国に比べ格段に教育水準が高かったが 集団に依存する社会風土と国民性から纏まりがよい。特に 軍は統率が重要であるので 日本軍は、同一戦力で戦った場合 常に強かったのである。8年いると 逆に日本の良し悪しが良く見えたりするものである。

お堅い話は、このぐらいにしておきましょう・・・

某国赴任中は、年に数度帰国のチャンスがあるので それを利用して嘉手納に行ったり 航空祭に行ったりするが とっても限られら回数で 特に自衛隊機を撮る機会は、めっきり減少した。その分 米軍機に照準をあわせて集中できるが それも限られた時間しかない。そこで 2009年の夏ぐらいから 禁断の某国空軍に手を染めてしまった・・・
台湾でも 当時禁断の実に手を出して その後ハマってしまったのに また同じ繰り返しである。某国空軍機なんて これぽっちも興味なかったし 魅力も感じていなかった。それなのに 禁断の実は一度食べてしまうとまた食べたくなるので怖いものである。

最初は恐る恐る食した果実であるが 次第に大胆に食べれるようになってしまった・・・でも 怖いもの知らずと言うほど愚かでもないつもりなので 時には細心の注意をはらっているのである。

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浦島太郎はいずこへ・・・の巻
昔 昔 浦島は、助けた亀に連れられて竜宮城へ来て見れば・・・・・しかし 貰った玉手箱を開けたら 時計の針は止まったままだと思っていたのに”忘れていた竜宮城での長い期間”が一挙に反映されて あっという間に老人に変わってしまった。なんか・・自分のことのようだ・・・某国生活14年目に入り もうすぐ定年に手が届く。心は、某国に赴任した時の状態と変わらないのに 鏡で見る自分もまだ若いつもりなのに 傍から見れば初老のおじいさんなのだ。おじいさんになる事は悪いことではないが あっという間の時間を改めて振り返ると考えさせられることが多いものである。

某国=竜宮城?? Oh!No!!! 酒と女には事欠かなかったが いえいえそういう意味ではな〜い。昔話というものは、何かしらの教訓や道徳を後世に伝承するために便利なツールとして親から子へ 子から孫へと伝え続けられてきた。昔話浦島太郎も 弱いものは救うべきであり 救えば良いこともあるよ!という童話のストーリーから道徳的な教えに導く もうひとつは、あまり楽しいからと言って遊び呆けていると その後の現実に愕然と来るよ!という2つの教えを盛り込んだ話だと思っていた。しかし 良いことした人が御誘いを受けて竜宮城で楽しんだのは良いが 玉手箱を開けた後の結末はちょっと淋しいものがある。「良い事をしてお礼をもらっても 決して受け取ってはいけないのか・・・」子供の頃は、そのギャップにとても違和感があった。そこで 自分の感慨に照らし合わせてもう一度この昔話を分析すると 「人生振り返ってみれば長いようで あっという間の出来事でしたね」と簡単に表現したかったのかもしれない。なんて かってな結論に達した。

学生時代に米軍軍用機にはまった私は、就職後 社内での職場もできれば関東周辺の写真が撮りやすい勤務地を心の中では希望していた。世の中 そんなに甘くは無いので 最初から大阪 名古屋である。米軍さん・さようなら・・・1年に数回のお休み期間しか撮りに行けないじゃないの でも社会人になれば 子供じゃないんだから我儘は通用しない、どこに行っても一生懸命やるだけさ。しばらくして 社内にアメリカ留学制度があることを知り 名古屋で苦楽を共にしてきた同僚と一緒にテスト&面接を受けることにした。英語ができなくても”チャレンジ精神”が大事なのよ!!って感じだ。後は度胸である。万一 アメリカMBA留学が決まれば その後 アメリカで買収した子会社勤務もあるかも!!そうしたら 写真一杯撮れるぞ・・・ アホな私は、そこまで期待を膨らませていたが 結果は、予想通りと言うか 当然ながら落選した。逆に 私が声をかけた中途入社の同僚が受かって アメリカ行きに・・・定期大卒以外から留学に行くのは我社初めての事らしい。まぁ その同僚には祝福を送るとして 私は、また名古屋に戻りコツコツとどぶ板営業である。
 ところがある日 「○○さん 転勤だそうですから 至急会社に帰ってきてください」 定時連絡でそう言われた私は、「転勤ですか?今度はどこですか?? え!!台湾! 冗談でしょう?」と。 電話口で営業部の女性が「そんなこと 冗談で言えますか!!」 そりゃそうだ 冗談ならもっと面白い現実的な地名を言うよな。しかし 私の台湾行き決定は アメリカ留学の面接で 上層部が私に目を付けたことから始まったそうなのである。世の中 皮肉なものである。

アメリカ行きから 一転して全くなじみのない”ちゅうごく語圏”への移動 しかも当時は準戒厳令下にある国である。写真なんて撮って捕まったらスパイ罪が即適応されるだろう環境かもしれない・・・「アメリカじゃなくて台湾ですか・・神様 あんまりじゃないですか・・言葉も全く判りません・・もう お前は写真など撮っていないで もっと仕事に専念しろ・・って事ですか」 なんて恨み節も出るものだった。その後の顛末は当HPの台湾編をご覧いただければと思う。台湾から戻った私は、海外赴任など一切希望を出すことなく 黙々と勤務地で仕事に没頭して 余暇には写真撮影生活も楽しめた。昇級向けの申告書には、いつも「海外赴任したくありません」にチェックを入れておいた。・・・90年代初めに中国大陸に進出し始めた私の会社では 中国語が多少でもできる人間に白羽の矢が立ちそうだったからである。

 私の希望通りその後約20年間はその通り国内現場での仕事であった、関連会社の責任者や本社の営業部門の役職を一通りこなし ある時 最近我社が出資したという衛星テレビ関連の会社に出向することとなった。私の会社の業界とは世界が全く異なり 今までやって来た業務内容とも全く関連のない業種で私にとっては未知の世界である。一から再就職するつもりで勉強しなければならないが おもしろそうである。副社長には私の同期生が一足先に赴任しており 私は、営業の総責任者として立て直しを請け負う。最初の営業幹部会議に出て唖然とした・・日本語の会議なのに会話の中身が50%も理解できない!業界用語が飛び交って意味がわからないのである。こりゃ 台湾で仕事するより たちが悪いや・・

 でも 人間努力すれば何とかなるものである。出向元の本体にいた時は、部門のスタッフがワープロでも何でも打ってくれたので 自分でやることは無かったが ここでは、企画書から見積もりまですべて自分でやらねばならなかった。お陰で エクセル、ワード、パワーポイント、フォトショップでの写真加工などすべて覚えて 番組企画を一流企業に企画書で出すところまでできるようになった。全国のケーブルテレビ会社へ番組の売り込みもするので 全国出張もあって 飛行に乗る機会も一段と増えた。面白い企画ではヘリを使った空撮をふんだんに盛り込んだ会社プロモーションビデオの撮影で 空から指揮をしたこともある。一時は、自分も知らないうちにプレッシャーを感じていたのか円形脱毛症にもなったが 5年も経つともうすっかりこの業界に慣れて 出向元の本体に戻って元々の業界の仕事をするなんて考えられなくなった。自分はこの業界でこれから生きて行こう・・・

 しかし 世の中 そうは問屋がおろさない! ある日突然出向元のお偉いさんから 「○○君ももう5年だね、大変だったけど 単年黒字にもなったし頑張ったじゃないか、ところで海外赴任は希望してないようだけど特段海外赴任できない理由はある?? 某国首都の子会社へ行ってもらえるかな?」 キィーーターーー!!
 なんやかんや行けない理由を並べたが 最終的には行く運命に・・・それがサラリーマンである。しかし よりによって某国とは・・・・・

 航空マニアというか軍用機マニアにとって 某国に赴任するということは、「海釣りファンが モンゴル勤務を命じられた」ようなものである。 しかも川釣りに変えた所で 安全を保障されるわけではない。「君 この河は禁漁区だ、逮捕する」とか なんとかなる可能性だってある。あ〜ぁ・・・・
台湾のように 少なくとも自由諸国圏であればまだ希望はあるが 共産圏では軍用機自体を身近に感じることすらできないであろう。しかも 旧ソ連系の機体が多く マーキングは、単調というかほとんど部隊徽章らしきものも書かれていないので 興味すらわかない。

 当面 某国では飛行機の事は忘れ過去に撮影した記録に整理に没頭しよう、趣味は別に求めればいいさ・・ そう覚悟して向かった某国であった。





・・・・あ!もう飛行機の時間が・・時間切れ・・・まだまだ続きます・・