KIEV

Kiev Class Heavy Aircraft Carrying Cruisers

艦橋は当時に近い形で再現されている。上部の大型レーダーはモーターにより展示時間帯は回り続けている。流石にミサイル類は張りぼての模型であったが、スクラップを買ってここまで 再現したのは中国の実業家も単なる金儲けだけでなく、拘りを持っていることを感じた。大したものである。左写真は私が休みを利用して2回目訪れた時のものであるが、天気がよく幸運であった。
SS-N-12サンドボックスの発射筒 どでかいボックスである。これを見ると 昔、砲艦外交と呼ばれた植民地拡大時代各国が大きな戦艦を建造した当時の思想とあまり変わらない気がする。
北京市に隣接している有名な都市”天津市”。日本では天津甘栗で名前が知られているが、天津と甘栗はこちらでは何の接点も無い。天津市は、北京、重慶、上海と並ぶ中国の特別行政都市の1つで、渤海湾に面し良港を有する為昔から北京の海の出口となっている。最近では日本企業の進出が多く、トヨタ自動車は天津に第2の工場を建設し2005年2月から最新のクラウンを生産する。その為この企業グループと関連部品メーカーがこぞって天津に拠点を構え小「豊田市」が形成されつつある。この天津に2003年9月旧ソビエト海軍の重航空巡洋艦キエフが展示されるようになったので御紹介しよう。(2004/10/24 記)
キエフは、1967年に計画された当時のソビエト海軍初の航空母艦である。ソビエト(現ロシア)では航空重巡洋艦と呼んでいたが、冷戦時強大な航空部隊を擁するアメリカ海軍に少しでも対抗したいとするソビエト海軍の悲願の艦船であった。ロシア海軍は、日露戦争以後外洋に本格的に進出できる海軍を持つ事ができなかった。ロシアは元々陸軍国であり、また冬でも凍ることの無い不凍港が少なかったt目、強大な海軍を持つ必然性が少なかったのである。しかし、アメリカとの冷戦の中海上プレゼンスを拡大するためには、航空機が運用できる艦船は欠かせなかった。それまでモスクワ級という海上自衛隊の”ひえい”級護衛艦の拡大版のようなヘリ搭載大型巡洋艦を運用していたが、固定翼機を運用できたのはこの艦が初めてなのだ。基準排水量36000トン 全長273メーターもある大型艦である。これが日本海に現れた時はマスコミ各社が脅威を書きたて”震える日”とか言うアホな特集写真集も発行された。
キエフ級の特徴は航空機を運用できると言う他に艦首にどでかい対艦船用の大型ミサイルを載せていた事である。これはSS-Nー12サンドボックスと言う対艦ミサイルで大きな筒に(まさにサンドボックス)に収められ8基も並べていた。キエフの海上での戦闘ではこの射程が550kもあるミサイルを米空母機動部隊に大量に撃ち込み混乱を起こさせる事にあったと伝えられる。しかし実際の戦闘ではこんな大型艦の行動は事前に察知されてしまい、攻撃をかける前に艦載機からの攻撃を受けてお陀仏になっていただろう。あくまで平和時にソビエトも外洋艦隊に発展したのよ・・とプレゼンスを鼓舞するだけの存在でしかない。
このキエフを見学するためには、天津市中心から車で2時間近く掛けなけければならない。見学用のツアーバスも出ている様だが、極めて不便な場所に公園は作られている。しかも艦の見学には120元(1600円)もの高額な入場券を買わねばならない。低所得層の最低収入が300〜400元の中国である。如何にこのチケットが高いかお判りかと思うが・・・金持ちでも一回見学すれば2回は行かない場所である。さてさて、艦内はどうなっているのだろうか?早速入ってみよう。比較的綺麗に展示室などが造られ航空機の格納庫には数機Q-5などが置かれていた。
YAK-38Mフォジャーと言うハリアーを見慣れた目には奇異に映る艦載機をこの艦は当時搭載していたが、その後の経緯を見ればどうも能力は低すぎて結局艦載機としては失敗に終わったようだ。。この艦の寿命が短かったのもソビエト連邦崩壊という要因以外に有力な艦載機を開発できなかったソビエト軍の艦載機開発の技術的未熟さが原因でもある。この艦にはKa-25ホーモン(ホモではない!)と言う対戦ヘリも積んでいたが、これが唯一この艦を対潜哨戒艦として手助けしたようだ。2番艦のミンスク、3番艦のノヴォロシースクとソビエトの都市名を付けた艦が生まれたが全て短命で引退に追い込まれた。
レーダーなどの電子機器にはロシア語の操作説明文や注意書きが氏のまま残されている。また一部は操作盤に電源が入っており、ランプが点灯している為リアル感がある。艦内も良く再現されていた。魚雷発射管が艦の舷側にあるのは知らなかった。
舷側に設置されたCIWS(対ミサイル用の速射機関砲)AK-630。口径30o この砲身まで正確に再現できなかったようで 只の黒い筒であった。写真右は、艦橋後方からのもの SA-N3か4かわからないが 対空ミサイルが再現されている。
天津北洋艦船観覧港有限公司より、一旦グボート4隻に引かれ天津港の南彊埠頭に係留されたが、航空重巡洋艦「キエフ」は秦皇島市山海関造船所(北京の東350km河北省の町)において最後「化粧直し」をされ、2002年9月渤海の秋の大潮にのって天津に戻った。私は偶々化粧なおし中のキエフを秦皇島で見かけたがその時は”ミンスク”と思っていた。
 此処キエフの展示されている天津市漢沽区城鎮は、大規模な軍事テーマパークの建設が進められており、総投資額50億元、初期投資に5億元が投入される予定。周辺には76の旅行関連施設を備える計画で、観光地と科学技術博覧、国防教育が一体となる世界規模での軍事テーマパークとなることを狙っているようだ。すげ〜!。国防教育に関しては、中国北方地区最大の国家レベル海洋科学基地としての役割を担っていくと言う。関係者は、「同テーマパークを中国東北地区における新しいタイプの観光スポット(天津経済活性化の『旗艦』)にすると述べていた。
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