この部隊 1982年にカルフォルニアのトゥスティンに戻ってから あまり日本で見かけなくなってしまったが、1980年に太平洋方面のCH-46部隊として最初のCH-46Eを受領している。その後 1989年のアラスカの原油流出事故の処理任務やフィリピンのピポナツ山の火山爆発の災害救援活動や 1990年のデザートシールドの戦闘支援、ソマリアへの派遣等、相変わらず忙しく海兵隊の足として活躍していた。1999年部隊は、キャンプ・ペンディルトンに移動、MAG-39傘下のHMMT-164に部隊名変更となって、教育支援任務の変更された。2015年飛行隊はMV-22Bオスプレイを受領して実戦部隊に復帰、VMM-164として活躍している。新インシグニアは、大鎌を持ったナイトライダー。
厚木に進入するHMM-164のCH-46D(154798)、YT-14のコックピット横には "Magge Mae"の文字と女性のシルエットが書かれている。ヌードかと思いきや、ビギニ姿のようだ。こうしたパーソナルマークも海兵隊ヘリを撮る上での楽しみである。各機とも前部ローターカバーの前には、”座ったカエル”がグリーン色で描かれていた。このカエル、後に無くなってしまうが部隊のマスコットだったのだろうか?
HMM-164は、カルフォルニア州サンターナで1964年に設立し、その後海兵隊エルトロ航空基地を本拠地とした飛行隊である。ベトナム戦時代の1966年3月8日には、USSバリーフォージで南ベトナムのマーブルマウンテンに到着して、MAG16の傘下で3年半ベトナム戦争に参加している。この間、激戦地ケ・サンを始めクアントラ、フエ,フーバイなどで活躍し、特にミード川作戦やヘイスティング作戦での支援が特筆され、ヘイスティグ作戦ではCH-46を3機を失っている。1969年に沖縄でMAG-15の傘下に入り、1972年に再びベトナムに駆り出されている。この間 この部隊は多くの殊勲賞を獲る活躍をしている。1973年からは沖縄普天間基地に移駐し、東南アジア方面の後方支援任務になったが、1975年南ベトナムのサイゴン陥落後、カンボジアやベトナムからの撤収作業に従事する役割を演じた飛行隊として、最後までベトナムとかかわった。(2006年1月 記)

1969年10月HMM-164はベトナムを離れ、日本の沖縄に移動MAG-15の傘下で活動を始める。1972年頃まで主に海軍第7艦隊と協力した上陸部隊等の支援任務で強襲揚陸艦USSオキナワに搭載されて、ベトナム沖からの軍支援をしたとされる。カンボジアからのアメリカ人の脱出支援や南ベトナム政府崩壊に伴うアメリカ人の最後の救出作戦を支援している。

Wings
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YT-11(153358)
YT-18(154789)
沖縄で訓練中に海上に墜落したHMM-164 CH-46D。乗員は確か全員死亡した事故と記憶している。(154806) 機体の一部は引き上げられ調査が行われた。
YT-19(154831)