HMM-262
NAVY/MARINEのヘリ部隊の魅力は、その機体に部隊マーキングを始め、部隊にまつわる様々なペイントが施されている事だろう。以前はダークグリーンのボディーに部隊/機体ナンバーが白で、部隊マークは夫々のカラーでペイントされていたので実に鮮やかであった。最近は濃淡グレーとなったが、やはり魅力的な存在には変わらない。撮影できるチャンスが少ないせいもあり、私は戦闘機部隊よりこれらのヘリ部隊の方が、撮影出来た時の喜びが大きい。HMM-262もよく日本を訪れる部隊で撮影の機会は比較的多かったが、特に1978年2月彼らは大挙してCamp、Fujiに訪れ訓練を行ったので、多くのマニア.がキャンプ富士で彼らを撮影する事が出来た。私は沖縄遠征中でかれらを撮り逃がし、この事が今でも悔やまれる。海兵隊のヘリ部隊が、強襲揚陸艦に搭載されて作戦遂行する際は、大型ヘリ/中型ヘリ/攻撃・軽ヘリコプター/ハリアー等のV/STOL機とチーム編成するが、この時海兵隊中型ヘリコプター飛行隊(HMM)が基幹部隊となるのだ。従って全てHMM部隊のテールレターに統一される。HMM-262は”ET"の為、彼らと同じ強襲揚陸艦で行動すれば、CH-53やAV-8Bハリヤーまで全部隊が、全て”ET”のレターを入れている訳である。
(1998)
(1998)
(1998)
(1999)
New pacth of HMM-262(rein)
このキャンプ・富士での訓練は、北朝鮮と厳しく対峙していた朝鮮半島情勢から、毎年春先に掛けて韓国で行われたチーム・スピリットの1978年番”Team Spirit 78”の前哨戦として、揚陸艦トリポリに搭載されて日本を訪れたもので、2月13日と14日の両日の訓練は富士山における耐寒訓練が目的だったそうである。
1998年揚陸艦ベローウッドに搭載され 横須賀を訪れたHMM-262(Rein)の面々。上の写真からは20年の年月が経過していると思うと感慨深いものがある。大きく変わったのは、海兵隊所属機のマーキングがグレー基調になったことである。下のUH-1Nは、何処の所属機からはマーキングでは判明しなかった。海外遠征の場合は原所属部隊のマーキングはほとんど消されるケースが多いからである。よって、このUH-1NもHMM-262(Rein)の所属機としてこのページで紹介することとした。
(1998)
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(1998)
(1998)
↑上写真は、上の写真からさらに9年の時間が経過した2007年12月の沖縄嘉手納でのHMM-262 CH-46Eである。マーキングの基本は変わっておらず 胴体には”The Flying Tigers"の文字が記入されていた。この部隊 この時は普天間に派遣されていたもの  (2008/1/19記)
Wings
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HMM-262”フライングタイガース”は、1951年に ノースカロライナ州のチェリーポイントで編成されたヘリ部隊としては、歴史の古い部隊である。当然朝鮮戦争でも活躍し、ベトナム戦争にも参加した歴戦の部隊と言える。1970年代は、ハワイのカネオヘ基地をベースにしていたが、時々揚陸艦トリポリに乗って、沖縄やキャンプ座間を訪れたことがあるので、多くの日本のマニアがお目に掛かる事のできたヘリ部隊なのだ。
CH-46F後部テールローターエンジンカバーに描かれた虎の顔が、当時 妙にリアル感があったが、遠くから見ると羽を広げた蝶のように見えたものである。
1978年2月キャンプ・富士にて訓練を行ったHMM-262(Rein)のCH-46F・AH-1J。この時は所属部隊は不明ながら、同じHMM-262(Rein)でETのレターを付けたCH-53Dも飛来しており、各機 雪のかかる富士山をバックに盛んにフライト訓練を行った。特にCH-46Fの機首右手防弾版には、各機様々なオリジナルのアートが書き込まれ、富士を訪れたマニア諸氏を喜ばせている。