The Period of Marage-2000-5 Page-U PP
第11大隊
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1992年高高度防空戦闘機として 中共の反対を尻目に台湾に対し 60機のミラージュ2000-5の売却が決まった。F-16の売却が決まる前のことであり 一貫して中国への貿易を重視してきたフランス政府がチャイナリスクを省みず台湾への戦闘機 フリゲートの一括売却に動いたのは国内の軍需産業保護のためである。元々 フランスは武器売却については節操の無い国で 金になれば何処の国へでも売却する。この頃の台湾は新鋭兵器に飢えていた上 豊富な資金があった。アメリカの圧力も有り当面禁輸政策で武器を売却できない中共とは 一時的に関係が冷却しても今目先の利益を取ったということだろう。従来 欧州の戦闘機など使ったことも無く アメリカ製に親しんできた台湾空軍にとっても 我々マニアにしてみてもあまりピンとこない機種選定ではあったが アジアでミラージュが撮影できる絶好のチャンスが訪れたのだ。
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1993年第499聯隊長葛光越少将率いる空軍幹部が フランスのパリに「駐フランス事務局」を設置 ミラージュ戦闘機導入に関する事前の調整が開始された。ここにおいて 語学研修や作戦。整備に関する資料収集 第2次派遣隊となる教官候補 整備幹部候補の選別が行われ 1996年14名の飛行教官候補と17名の整備技術員がフランス南部のMont De Marson空軍基地など4つの空軍基地に派遣されることになる。機体の第一陣は、1997年5月5日に海路で花蓮港に5機が到着 5月23日最初に組みあがった複座型の2055号機が新竹空軍基地に到着した。
←最初のミラージュ2000-5 飛行隊 第41戦術戦闘機中隊の許中隊長。創設時の呂楽生中校(中佐)の後を次いで2代目中隊長となった。彼もフランス派遣の第1陣で訓練を受けた一人。 
新竹空軍基地で撮影した第41戦術戦闘機中隊の面々。左1の写真は、41TFSの作戦長 薛傑少校(少佐)。彼は中隊長の補佐と中隊の作戦参謀の仕事を兼ねるが この時期はまず新しい戦闘機に全部部下が習熟することに集中し 寝る時間も無い状況だったと言う。右1写真は、フランス空軍から派遣されたインストラクター ジャンミ大尉。パイロットのネームタグには”龍強敏”(ロン・ジャンミン)漢字併記されており 
Wings
台湾に到着した最初の5機の内 この2055号機が最初にくみ上げられて新竹に配備された。
Mirage-2000-5 始動!
新竹基地のタキシーウェイを滑走するミラージュ2000-5。後ろには引退を間近にしたF-104Gが続く、新旧交代のセレモニーを兼ねた様なシーンであるが 後ろに並ぶシェルターは、現在はミラージュで埋め尽くされている。
3ヶ月に一度の船便で5機づつの納入を受けた11大隊は、徐々に機数を増やし 本格的な飛行訓練が始まった。この頃の新竹基地は、このミラージュを見ようと全国からにわか飛行機ファンが訪れ 基地側もそれを容認していた為 堂々と写真が撮れる時期であった。
たまにはアクシデントもあった。機体の調子が悪い為 緊急着陸したミラージュ2000-5、ランウェイにバリアーケーブルをはって無事着陸には成功したものの 主脚のタイヤをバーストしてしまったため 自力で滑走できず牽引車の応援をもらうことに・・・
全長14.36メートル 重量17トンであるから 小型の戦闘機の部類に入るのだが F-104と比べるとかなり大型の機体に見えた。全長ではF-104Gの方が長いのであるが ミラージュは、背が高いのと口径の大きなエンジンが 並んで滑走するF-104に比較してとても大きく見えたのである。
CCKに展示された2機のミラージュ2000-5 写真は、複座の2056号機 奥は2004号機。450ガロンの大きいタンクをつけ 翼下には、R-550赤外線追尾ミサイルマジックUをつけての展示。マジックUは、マトラ社製のミサイルで フランス空軍のほぼ全ての機体で運用できる。射程は、改良型で15kmと言われ 敵機の方向を問わず 発射できる。サイドワインダーなどに比べ 翼が12枚もあることが特徴。
2枚の正面系の写真 左は、2055号機、胴体下にポッド式の機関砲パッケイジを付けている。右の写真は、CCKに展示された2004号機、飛行前点検で外すべきもののタグが、極めて多い。また 米軍に比べタグの長いことが目立つ。この機体には、MICA 中射程のアクティブ・レーダーホーミングミサイルを積んでいたが(右パイロットの腹の横に見える) このミサイル3.1メートルと長く 撃ちっぱなしの優れものである。本元のフランスでも ミラージュ2000-5以降の機体にしか付けられなかった。
11th AIR GROUP