第3大隊
427TFWの各中隊は,1980年代後半から下の各中隊徽をF-104の尾翼に描き これが他の飛行隊にも波及していったが 1990年秋に発行された通達により大隊徽に塗り直された。
Insignia
”CCK”と言う基地名は、航空機マニアであれば昔から名前だけは知っていたほど有名な基地であった。しかし 何故”CCK”と呼ぶかを知っている人は意外と少ない。清泉崗空軍基地が正式名称であり この”Ching Chuan Kang”の頭文字をとってC.C.Kと略すのである。台湾第3の都市台中市の東部に位置する清泉崗空軍基地は、台湾最大の空軍基地でもある。しかし一般に販売されている地図には国防上の理由からか基地の存在さえ記載されていない。”崗”の文字が示す通り小高い台地となっている地形上にあり 日本の新田原基地の地形に似ている。しかし総面積は、新田原基地の3倍はあろうかと言う大きな基地だ。現地の人でも3文字で呼ぶほうが面倒がない為 台中の駅前でタクシーを拾う際も「CCK」で通じる。
 ここに第427戦術戦闘機聯隊とAIDCが拠点を構えており 台湾で最初にF-104が配備された第8中隊を麾下に置く第3大隊は、現在も台湾国産の”経國”戦闘機を最初に受領した大隊として有名である。1991年に私が台湾を再び訪れた時も第3大隊の主力はF-104Gだったはずだが、度重なる事故の影響で飛行停止が続いていたのと すでに国産のIDF”経國”戦闘機への移行準備の為 F-104を見ることが殆ど出来なかった。このため第3大隊のPage1は、多くを地元のマニアであるMr.CCK-FOXの写真に頼ることとしたい。私が彼から聞いた話で 非常に興味深かったのは、元航空自衛隊で使われていたF-104J/DJは合衆国経由で輸入された後 CCKで試験飛行が行われていたそうだが、なんと日の丸をつけたままで飛んでいた機体があったそうだ。(台湾では、日の丸を”太陽旗”と呼ぶ)再塗装を施す前に機体ごとにCHECKをかけ そのまま配備するか、または部品取りする在庫とするか決めたのであろう。私も自衛隊の塗装のままの廃棄されたF-104の残骸を台南で見たことがある。
私が 
Wings
(Above) These 8 photos were taken by Mr.CCK-FOX 「Taiwanise Aircraft Fan」 in 10.OCT/1989. Each squadrons insignia were painted in tail. Many Thanks Mr、CCK−FOX!!
下記6枚の写真は、台湾の友人CCK-FOX氏撮影のF-104であるが、非常に貴重なのは この写真が1980年代初めて一般公開された1989年10月10日CCKでの撮影であること。そして 航空自衛隊で使用していたF-104J/DJのTAXINGを捉えているところ、最後に 大隊徽に書き換えられる以前の第3大隊の各中隊のインシグニアを描いた機体であることだ。 
第3大隊は、1936年に創立した歴史ある大隊である。第7第8中隊は創立当初から隷下においている。カーチスHawkなどを装備した戦闘機部隊として日中戦争時は、首都南京の防空等を担当した。その後旧ソビエト製のイリューシンI-15,I-16、I-153を受領したが、機体性能に勝る日本軍機に大きな勝利をあげることが出来なかった。しかも1941年に中国戦線に登場した零式艦上戦闘機ににより中隊が全滅に近い損害を受けるなど苦渋の歴史を踏んでいる。太平洋戦争終了前後に南京から上海に移動P-40から機種をP-51に更新し 国共内戦を戦い 朝鮮戦争勃発時は台湾海峡防衛に専念した。この頃から中隊構成は、現在のものにほぼ近い形となっている。
 台湾では、当初松山などに拠点を置いたようだが、1959年11月に清泉崗空軍基地が落成後 ここに移動し現在にいたる。1960年に第8中隊が最初のF-104A/Bを受領 台湾空軍の精鋭部隊として防空の任に付いた。その後も阿里山計画によりF-104G/F-104J/DJを受領し1993年から国産のIDF”経國”に機種更新を開始した。最初にIDFを受領した第7中隊は、試験運用とフライトマニュアルの作成など多くの実戦配備前段階での任務を帯び 後の種子教官(Core Instractor)となる6名のパイロットを含んだ特別編成であった。IDF後の第3大隊については、次の章で詳しく解説したい。
427TFW
   第3大隊徽
(Insignia of 3AG) 
第7中隊徽
第8中隊徽
第28中隊徽
F-104DJ/4592 (26-5004)
F-104J/4502 (36-6528)
F-104J/4522 (46-8596)
F-104G/4303 (62-12252)
F-104G/4413 (62-12345)
F-104G/4414 (62-12347)
7 TFS
8 TFS
28 TFS
The Period of F-104G
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3rd AIR GROUP
日本の航空自衛隊が導入したF-104DJ 複座型スターファイター20機の4番目の機体であった。ロッキード社からの輸入品で 百里の第206飛行隊にも所属しており 後には、岐阜のAPWにもいた機体である。台湾に送られた後は、元日本で使われていた機体のほとんどは、「45○○」のサイドナンバーを振られており 複座型は、「459○」からスタートするナンバリングであった。複座のF-104DJは、4591〜4595までが確認されており 当初は、第7中隊に集中的に配備されていた。
同じく 航空自衛隊で使われていたF-104J(36-6528)である。台湾空軍では、4501号機に続く F-104Jの2番機となっている。F-104Jは、4501〜4522までの22機の単座J型が確認されている。あえて型式名称を変えずにそのまま使っていたところは、興味深い。尾翼のインシグニアから この機体が 第28中隊に所属していたことが分かる。
台湾に送られたF-104Jで 確認されているサイドナンバー最後尾のF-104Jである。台湾へのデリバリーは、1987年5月となっており 撮影された1989年10月の時点では、2年少々の時間が経過していることになる。しかし 台湾に送られたF-104J20機のうち 5機が墜落などの理由で除籍になっており 事故率は相当高かったようである。この機体は、クラッシュなどすることは無く 天寿を全うして、その後台湾の国立科学工芸博物館にサイドナンバーを「4303」に変更されて展示されていると言われている。所属は、当初第7中隊 後に第8中隊に移動しているようで 1989年10月時点の所属部隊は、不明。
F-104DJ/4595 (36-5017)
逆光で判りにくいが 1番目写真の4592号機の比べ 塗装が新しく汚れが少ないように見える。F-104DJの最終機 所属は、第28中隊。 F-104JとDJのほとんどは、阿里山9号計画にて導入されたものである。この機体も その後、台湾の南投縣水里と言うところで 公園に展示されているそうである。
私は、この機体が航空自衛隊で使われている時は、撮影に恵まれたが 第207飛行隊所属として沖縄那覇基地に長く所属していたと記憶している。また 1983年の戦競の時にグリーン系のベトナム迷彩を身にまとったことで かなり注目を集めた機体でもあった。
台湾の人が 尾翼のマークを「灰色狼」と呼んであるのであるが 台湾でも人気のある第7中隊のインシグニアだった。阿里山2号計画でアメリカから導入したロッキード社制作の機体である。タキシングしている機体と見学の民衆の距離は近く 以前は、かなりおおらかであった。
カナディア社でライセンス生産された機体で デンマーク空軍で使われていた機体である。1986年までに飛行時間 3,996時間を記録していたが 1987年に台湾に輸出されている。現在は、岡山の空軍博物館に機体構造が透けて見えるように スケルトン展示されているとのことである。
この機体もカナダの国営企業であったカナディア社が ロッキード社からのライセンス生産で制作してデンマーク空軍に送られた機体である。カナディア社は、その後 ボンバルデイアに1986年に買収されて 今ではすっかり聞かなくなった。この機体 1964年5月に初飛行しているが 1983年1月のラストフライトまで デンマークで3,939飛行時間を記録しているそうである。1987年4月に台湾に出され 第8中隊の所属として配備された。1999年に残念ながらスクラップになったと記録がある。
F-104G/4301 (62-12250)
1989年10月10日 CCKのOpenhouseで展示されたF-1042機のうちの1機で 第7中隊「灰色狼」所属。 2014年の記録によると 現在でも、CCKのゲートガードとして展示されているようである。
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