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救護中隊
台湾空軍は、地域ごとに救難隊があるのではなく 嘉義基地に1つの部隊としてまとまっている。1950年に第10大隊救難分遣隊として嘉義で創設され 最初に受領したのが PBY-5Aカタリナ飛行艇である。その後 H-19,H-13,H-5と救難用にヘリを用い 1966年からHU-16アルバトルス飛行艇を使用開始した。1977年10月10日から 新鋭ヘリUH-1H6機が導入され シコルスキー製のS-70は、1986年6月から装備されている。
S-70C-1と呼ばれる初期導入型は、14機、機体ナンバーは、7001〜7014号機までである。これまでのUH-1Hと比較し 大幅に活動範囲が広がり 特に海抜の高い台湾山岳部での捜索活動に期待が持たれた。左右に貼りだした翼には、最大4つまでの燃料タンクをつるすことができ 航続距離も伸びた。 それまで飛行機事故で山間部にベールアウトしたパイロットと交信はできても UH-1Hでは捜索できる範囲が限られ 負傷したパイロットを漸く救出しても 手遅れで病院で死亡するなどの事例が多かったが  このS-70C-1を導入後は、海上・山岳部共に長時間にわたる捜索が可能となり 戦闘機パイロットにとっても強い味方である。
配備当初のS-70C-1は、御覧のように非常に美しいマリンブルーに救難隊を示す尾翼の黄色い帯があった。下面は、抜けるような白色で多くの空軍基地公開で展示された。写真上から 7005と7007は、新竹基地、7011は、嘉義基地。そして7010号機は、花蓮基地での展示である。下写真のホバリングしている7011号機は、新竹での展示フライトの様子。
1979年にUH-60Aとしてアメリカ陸軍が採用した軍用ヘリをシコルスキー社が民間用ヘリとして売り出したのがS-70である。しかし エンジンは、あの有名なゼネラル・エレクトリック社のT-700GE-700で 軍用タイプと変わらないため1,625馬力の大きな力を発揮できた。1980年年代 UH-60としてではなくS-70として台湾に輸出したのは、アメリカが中国大陸の政府の圧力を気にしてのことかもしれないが 1980年代には同じS-70C-2タイプが 22機大陸政府にも販売され軍用機として成都軍区で使われているので 政治的バランスが関係しているものと考える。