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↑ 読みにくくなったシリアルに変わり 機体の窓ガラスにシリアル番号の末尾二桁を表示して 見分けがつくようにしている。写真左から2番目の窓に”83”と貼られた紙が確認できる。恐らくシリアルは、88-00083 であり、後に韓国へ売却されたと記録されている。韓国へはこの部隊から14機のCH-47Dと予備エンジン5機や関連機材が390万ドルで売却されたそうである。
在韓米軍のベースで展示される代表的な輸送ヘリが、ボーイング・バートル社のCH-47 チヌークであるが、CH-47Fが駐留するキャンプ・ハンフリーズは、旧日本軍が1919年に平澤に建設した飛行場がベースとなっている。朝鮮戦争時に再整備が行われ米空軍がK-6と命名した。その後 1962年にヘリコプターで事故死した軍人の名前を付けてキャンプ・ハンフリーズとなった。正式に米陸軍が管轄するようになったのは、1974年である。韓国における基地反対運動などの影響で在韓米軍の拠点を統合する計画が進められキャンプ・ハンフリーに集中的に機能が集約された結果 海外駐留米陸軍基地で最大規模と言われるほど大規模な施設である。基地は、1467万平米と言う広大な敷地を持ち 外周だけで18.5kmもあると言われる。統合後の在韓米陸軍はここと大邸の2か所が米陸軍のハブとして使われている。
↑ 2012年オーサン基地に展示されたCH-47Dであるが、所属部隊を示す機首の矢印以外 文字と言う文字は、オーバースプレーされ見えにくくされており、シリアルも判らない。D型の数機は後に韓国陸軍に売却されたと記録されている。
(88-00091)
キャンプ・ハンフリーズには、このCH-47の部隊の他 AH-64とUH-60の飛行隊が同居しており航空祭ではこれらが展示されることが多い。またキャンプ・ハンフリーズは 3000台以上の陸軍戦闘車両を駐車・整備出来る施設が3か所以上存在し 機動訓練施設や射撃施設も整備された一大陸軍拠点となっている。
CH-47D チヌークヘリコプターは、韓国のキャンプハンフリーズにある第3支援航空大隊(GSAB)、第2航空連隊のB中隊「インキーパーズ」の所属(B
Co 3-2 GSAB "Innkeepers")