Insignia of 15TRS
F-4ファントムのシリーズの中で直接戦闘を目的としない異色の型であるRF-4Cは、アジア地域の米軍基地の中では これまた嘉手納でしか撮影できない貴重な存在だった。偵察カメラを機首に積むだけでこんな大きな機体をわざわざ改良して使わなくとも 他にもっと経済的なやり方は無かったのか?疑問に思うこと暫しだが、お金持ちのアメリカらしく当時の最高の戦闘機を偵察機に活用した。どうもBODYに比べ 鼻が細すぎてくちばしに見えるので 太ったカラスを連想してしまう。
ここに並べた3機のRF-4Cは、インテーク周辺の迷彩パターンが、微妙に異なる。塗装の際のパターンの基準は決まっていても 大凡であり 各機少しずつ異なっていた。152TSRも1978年頃から他の飛行隊同様インシグニアの小型化が実施された。一番下の機体は小型化されて後のものである。1978年頃から翼内側のパイロンにECMポッドを常備してフライトすることが多くなった。スパロー用のステーションを持たないRF-4C独特の付け方である。
1980年代に入り 15TRSは、背中にARN-101Modを装備したRF-4C機体の受領を行ったため 背中に台形のおできの様な突起が付いたが、1970年代は、ECMポッドをつけている以外 その他の装備品をぶら下げていることは、めったになかったと記憶している。元々 F-4Cの改造発展型として1968年に初飛行したタイプで 内部にDLIRレーダー/SLAR/ELINTなど装備し アメリカ空軍期待のマルチ・センサー全天候偵察機であった。なんと 夜間の偵察もお尻からフラッシュ・カートリッジを放出して 撮影する装備をもっていた。
15TRSは、その前身となる部隊が1917年にニューヨーク州で誕生している。後に第15戦術偵察中隊と命名され 第2次大戦中はフランス沿岸の偵察などを任務として活躍、P-51ムスタングを装備していたようだ。大戦後同隊は1度解散しているが、1951年に再編され 日本の小牧基地に駐留 67TRWの所属としてRF-80を装備していた。朝鮮戦争の勃発に伴い韓国に移動 一時は中国共産党軍との国境”鴨緑江”周辺の偵察任務 Migアレー(回廊)など前線の偵察を担当した為 最新のRF-86Fを受領している。1955年には一時横田基地にも配属となったようであるが、装備機をRF-84サンダーフラッシュに換え 1956年8月に嘉手納に移動したもの。1967年2月4日にRF-4Cの最初の2機を受領 その年の年末までに全てRF-4Cに改編を終了した。15TRSの行動範囲は広範囲に及び 18TFWの傘下にあっても行動を常に共にしているわけではなかった。極東唯一の全天候偵察部隊として 朝鮮半島方面での任務が多く 後に日本を去り韓国のタエグ基地に移動していった。
15TRS
RF-4Cは、機首下面に3つのカメラベイを持ち 前方、前方左右、垂直面など広いエリアが撮影可能であった。カメラは、700ftのフィルムをドラムに収めた一体型のもので 着脱も一体で行われた。胴体後部のフラッシュカートリッジには、高空用のM123と低空用のM112の2種類の撮影用の投下式照明が装填できる用になっていた。
 また 機首レーダーは、任務の性格を配慮し地形回避能力を持ったAPQ-99レーダーを装備 後にはALQ-125電子偵察システムの搭載でリアルタイムに地上に偵察結果を伝達する能力も備えることになった。
 左写真でお気づきのことと思うが、RF-4Cは、機首の空気抵抗を軽減する為 カメラ窓の斜角の変更をして機首の形状を変えている。下のZZ-429に対し 上のZZ-438は、のっぺりとした機首形状であることが判ると思う。
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