44TFS
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真珠湾攻撃を題材とした映画は多い 最近では「パールハーバー」が有名だが、かなり以前の映画で 特に制作費をかけたものに「トラ・トラ・トラ!」がある。「パールハ−バー」では、日本軍機を迎撃したP-40が大活躍するが あれはかなり嘘っぽい・・本当は殆ど戦果は無く 地上で全滅している。「トラ・トラ・トラ!」では そこのところをほぼ忠実に再現した為 反ってアメリカでは全く人気の出なかった映画になってしまった。やはりアメリカでは、嘘でもヒーローを活躍させない事にはウケないのよね・・
 P-40を多数持ちながら ハワイのホイラー飛行場で全滅の憂き目を見たのが 第18追撃航空群の傘下に有ったこの44飛行隊でだった。後にカネオヘに移動して第44戦闘機中隊と改称され P-38ライトニング戦闘機を受領して ガダルカナル方面では 活躍している。130機以上の日本軍機を撃破して 最優秀飛行隊の表彰も受けている。また 第18戦闘航空群の同僚第70戦闘機中隊は 山本五十六元帥機の撃墜を遂行し 初戦の恨みを晴らした形となった。
(2002/7/24 記)
WWU後は P-51ムスタングを受領して フィリピンのクラークABに配属されたが 装備機をP-80、F-86Fと更新し 1954年12月から沖縄の嘉手納基地に移動した。PACAFで最初にF-105を受領した18TFWは その後ベトナム戦に参加 この44TFSも損耗が激しく 部隊は残存機と共にコラートの388TFWに吸収される。漸く元の18TFWに戻ったのは F-4を受領した1970年の10月でその後現在まで67TFSと共に 嘉手納が長い飛行隊である。バンパイヤの不気味なマークは、嘉手納のF-4部隊の代表格として目立った存在だった。
F-4D of Mig-Killer (66-0267)
F-4D of Mig-Killer (66-7463)
18TFWの所属機は、その多くが激しいベトナム戦を戦い抜いてきたものであり その中には”Mig-Killer”(Mig戦闘機 撃墜記録機)が多数含まれていた。ZZ-463(66-7463)のように 1機で 6機のMig戦闘機撃墜履歴を持つ機体もあった。この”特別機”を除いては殆ど Mig-Killer マークを機体に書き込んでいるものは なかったが、後にアメリカ本国に戻り 州空軍や予備役飛行隊に配属になってからは マークを入れて機体に敬意を示すことが多かったようだ。Mig-Killer機は、18TFWの中では この44TFSと25TFSに結構含まれていた。
F-4D of Mig-Killer (66-0240)
F-4D of Mig-Killer (66-0785)
Unknown - detail
1972/12/22
Mig-21
1972/9/9 Mig-19
1972/9/9 Mig-19
Mig-19x1
Mig-21x5
F-4D of Mig-Killer (66-7468)
1972/12/18
Mig-21
ZZ-537 (66-7537)
ZZ-239 (66-0239)
ZZ-463 (66-7463)
ZZ-796 (65-0796)
ZZ-242 (66-0242)
ZZ-538 (66-7538)
ZZ-705 (66-8705)
ZZ-783 (65-0783)
F-4D (66-7463) Left-Side Mig-Killer Mark
恐らくアメリカ空軍のファントムで 最も有名な機体であろう。このF-4D (66-7463)は、ベトナムで6機のもMigを撃墜している。パイロットは、1〜2機目と最後の6機目は異なる士官によるが、3機目から5機目までは ベトナム戦でエースの称号を獲得したステーブ・リッチ−大尉(撃墜5機)が、この機体で成し遂げたものである。
 この66-7463号機の最初の撃墜記録は、1972年3月1日 Mig-21。2機目は、1972年5月8日 Mig-19。二日後の5月10日に 3機目 Mig-21。4機目は、5月31日 Mig-21、何と1月に3機もこの機体で落としている。5機目は 8月28日 Mig-21。 6機目は10月15日 Mig-21 である。お分かりの通り 1972年の3月から10月までの短い間に記録されている。こんなラッキーな機体は無いだろう! この機体 18TFWを去った後は 本国のエグリン空軍基地の31TFWの所属になり 現在は引退してコロラドスプリングスの空軍士官学校に校内に 最初の撃墜を記録した当時のテールレター”OY-463"を誇らしげに書き込んで展示されている。
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