18TFW
The Period of F-4C/D & RF-4C
1970年代の後半 18TFWのF-4C/D部隊最盛期には、偵察部隊も含め5個飛行隊が嘉手納に存在した。5個飛行隊となれば 1個飛行隊定数18機×5+予備機も含め 由に100機を超えるファントムがいたことになる。航空自衛隊が購入したF-4EJ/RF-4Eを合わせても160機足らずであったから 如何に多い機数かがお分かりになると思う。嘉手納は、当時ベトナム戦後の東アジアの要石!! 最も重要な戦略拠点だったのだ。ここにはSACのKC-135Aなども同居しており マックピーク空軍参謀長のコンポジット・ウィング構想が実現する前から実体上の既にFWになっていたと言っても過言ではない。

1977年当時の嘉手納のF-4部隊

          第12戦術戦闘機飛行隊 12TFS ”Dirty Dozen”      F-4D  
          第25戦術戦闘機飛行隊 25TFS ”Assam Dragons”  F-4D
          第44戦術戦闘機飛行隊 44TFS ”Vampires”        F-4D
          第67戦術戦闘機飛行隊 67TFS ”Fighting Cocks”   F-4C
          第15戦術偵察機飛行隊 15TRS ”Cotton Pickers”   RF-4C
F-4C/DのエンジンJ-79-GE-15は、ご覧のように真っ黒な排気煙を出す為 実に迫力があった。しかし 20km先(目の良い人は30km)からでも 容易に視認出来た事から 敵にも発見されやすく 後に排煙を押さえる改良措置がとられている。
67TFS
67th TFS
"Fighting Cocks"
1941年にミシガン州で創設された部隊で太平洋戦争時は、P-39/P-38等を使用して ソロモン諸島 ガダルカナル攻防戦 フィリピン侵攻など戦線の殆どに顔を出した歴戦の飛行隊である。朝鮮戦争においてもF-86セーバーで参戦 Mig戦闘機 8機撃墜のハガーストローム少佐などエースを輩出している。1954年に沖縄嘉手納に移動して現在もF-15Cの部隊として元気だ。F-4時代は、18TFWの中で唯一対防空網撃破を目的とした”ワールド・ウィーズル”を任務としていた部隊で 嘉手納で見かける彼らの翼下のパイロンには度々青い「シュライク対レーダーミサイル」の訓練弾が付いていた。
両翼のパイロンにシュライクミサイルの実弾と胴体後部下にスパローミサイルのこれまた実弾を積んでフライとした67TFSのF-4C(ZZ-433/675)
 青のダミー弾をつけているのは、よく見かけたがこのように実弾をつけて飛ぶ事は、非常に稀で小雨の中 嘉手納R/W23で撮影した友人と私は大喜びした。こう言うチャンスにめぐり合ったのはこれが最初で最後となった。(1977.8) 
1978年に入ると F-4各飛行隊のインシグニアは、一廻り小型化された。それに伴い67TFSのインシグニアは それまでの丸型から四角形に近い盾型のものに変更されている。
 左写真は、1978年9月撮影の私としては、当時会心のショットである。
 その頃 200mmレンズしか持っていなかった私にとって このようなTake-offを撮れるチャンスは、まれであった。嘉手納R/W 05R

(CanonAE-1 EF200mm F-8)
ZZ-437 (63-7437)
アメリカ空軍では、1970年代後半から F-4Eが主力になりつつあり 20mmバルカン砲を持たないF-4Cには、各種レーダー警戒装置/ジャミングポッド/シュライク対レーダーサイトミサイルの搭載能力を持たせて 新たな役割を与えた。下の写真でもフィンのないシュライクミサイルのダミー弾(青色)を搭載した機体が多い。
ZZ-470 (63-7470)
ZZ-474 (63-7474)
ZZ-478 (63-7478)
ZZ-508 (63-7508)
ZZ-780 (64-0780)
ZZ-757 (64-0757)
ZZ-913 (64-0913)
ZZ-433 (63-7433)
ZZ-415 (63-7415)
ZZ-423 (63-7423)
ZZ-423 (63-7423)*
ZZ-574 (63-7574)
ZZ-675 (64-0675)
ZZ-623 (63-7623)
ZZ-672 (63-7672)
下の8枚は、67TFSのインシグニアが、小型化された後の物である。ZZ-423はC型には珍しくコンバット・カメラ付のD型タイプのレードームをつけている。こうした機体は他にも散見された。
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Insignia of 18TFW
上記最下段のF-4C(ZZ-623)は、C型の中でMig撃墜を記録した機体である。本機は18TFWを去り 後にインデアナ州空軍の113TFSの所属(HFのテールレター)となった後にインテークベーンにミグキラーマークを書き込まれている。
On 20 May 1967, a North Vietnamese MiG 17 fell victim to F-4C“63-7623"s missiles, and the skills of Major John R. Push Pardo and First Lieutenant Steven Wayne. It was considered one of the longest air-to-air engagements of the Vietnam War. Steven Wayne would later add another MiG 17 to his list for a total of two.
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