Wings
26th TFTS (T-38A/F-5E)
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フィリピン・クラークを本拠とする26th TFTS(26th AS)は、1980年代中期に日本本土の航空祭にも参加するようになり 嘉手納まで行かずして目の前に置かれたF-5Eを楽しむことが出来るようになった。このページでは、三沢 横田 入間などに展示されたF-5Eの姿を中心に紹介したい。

 当時ソ連軍で最も数の多かったMig-21との空戦訓練をシュミレートするため 本来は海外向け専用の小型戦闘機として作られたF-5Eを米空軍が本格的に訓練に使うようになったわけであるが F-4などの大型戦闘機に比べ ガタイが小さくレーダーに映る反射像も小さいのと エンジンの排気ガスがほとんど無煙で 空に黒い航跡を残さない為 シュミレートする相手としては、中々手ごわい相手である。ただし 強力なエンジンを積んだMig-21に比べ F-5Eは、それほどパワーが無いこと 一度コックピットに座ったことがあるが 後方視界ゼロの上に(バックミラーで多少見えるが) 前方の視界もそれほど良くない。ベテランでないとこの機体で 強敵を演出するのは、結構大変である。 
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(74-1575)
ブルー・スキームは、機体下面もライトブルー色で 上面3色と異なる為 厳密に言えば4色の青系塗料でペイントされている。下は、同じ機体で三沢に展示されたもの。右側面と左側面では配色の割合が大きく異なるのがお分かりでしょう。また センタータンクや翼端のミサイルがないと よりスマートさが際立つ。
下は、1985年10月6日 三沢での撮影。
(75-0615)
ショー展示を終え 入間基地を離れるため離陸の準備をする2機のF-5E 手前は、シルバースキームの15番であるが どうしてシルバーかと言えば 当時 ソ連を代表する東側世界の戦闘機の代表が Mig-21フィッシュベット(NATOコード名)、この機体はほとんどジュラルミン生地の無塗装か薄いグレー色であったため それを模倣したもので 機首のナンバーの書き方もそれらしく書き込まれている。当時 26ASに所属したシルバーのF-5Eは、この75-0615と75-0614(前頁 嘉手納タキシングの4機の先頭)の2機である。 
1985年11月の入間航空祭に参加した26th TFTSのF-5E。丁度 私の妻が出産を終えてまだ入院している中 F-5が参加することを聞いて 妻には申し訳なくも 入間に向かった思い出がある。したがって この写真は、私の娘と同じ時期に生まれたものである。いつも 多くの人で賑わう入間ではあるが こんな目面しい機体が参加したこともあって 機体の回りは人垣である。しかし マニア以外でこの機体に注目した人がどのくらいいるかは 分からない。フィリピン・クラーク空軍基地からの珍客であるが 配備から8年目を向かえ 当初の塗装からずいぶんお色直しがされている。
上は、入間の航空祭を後にし帰還するF-5E、全体のブルー迷彩のスキームが分かる写真であるが、下写真のF-5Eのブルー・スキームとも明らかに異なるのが お分かりでしょう。当初パッチーズといわれた迷彩も 配色の異なるブルー系の塗装が多くになるに就け 呼び名が変わっている。この機体のように 3色迷彩の内 中間のブルーが紫色になって 多くの面積を占めているものは、グレープ・スキームとも呼ばれていた。国籍マークもロービジタイプである。
(74-1574)