3TFS / 90TFS  (F-4E/G)
グァム島のアンダーセン空軍基地内に 展示されたF-4E(PN-13AF-0392)。2004年9月12日のOpenhouse時に撮影したものである。私の撮れなかったエジプト-1と言うタイプの塗装であり 3TFWのF-4E/Gが最後に纏った塗装であった。この前日は、9.11の三周年に当たった為 基地内の警戒は厳しく 基地内の駐車スペースに向かう参観客の車列に対し あちこちから軍用車の車載銃の銃眼が向けられていた。少しでも変な動きがあればすぐ発砲されるそうな雰囲気であった。日本国内であれば国民に銃口を向けるようなことはできないがアメリカでは、まかり通るようだ・・・・
フィリピンのクラーク空軍基地にF-4Gが、配備されてまもなく横田基地にも 3TFSのF-4Eと共に90TFS所属のF-4Gが、飛来した。シャーク・ティースを付けた3機ものF-4E/Gの飛来に 多くの航空ファンが横田基地東側国有地に集まりRW36での離陸を心待ちにしていた。しかし エンジンをスタートさせた直後ランウェイチェ〜ジ!彼らは意に反しRW18の風が吹く中 まだ光線状態の良くない石川島播磨工場の前のTAXI-WAYを転がって離陸して行った。90TFSは、PACAFに配備された唯一のF-4G部隊であった為 我々にとって貴重なG型のファントムを撮影できるチャンスをこの部隊が与えてくれたと言えよう。この日は、多くのギャラリーの期待に答え(?)最後にフォーメーション離陸した2機は、離陸後左右に大きくブレークし 皆を喜ばせた。

1979年6月 嘉手納基地で18thTFW/67thTFSのF-4C(ZZ-447)と飛行訓練を行うF-4E (PN-275)

今やフィリピンに米空軍の実戦航空部隊は無いが、歴史上アメリカとフィリッピンの関係は長く 1898年のパリ条約で当時2000万ドルでそれまで植民地支配していたスペインから譲り受けたことから始まる。ここからアメリカのフィリピン支配が始まるのだが、当時列強と呼ばれた国々の植民地拡大策が進むにつれ 多くの天然資源を擁する東南アジア各地の利権確保の為 西太平洋の軍事的な要所として注目されるようになった。クラーク空軍基地も 元々は牧草地だった平原を1900年代の初頭から飛行場として拡大して行き 最初の機体は1912年に配備されている。それから 続々と部隊は拡大され太平洋戦争勃発前にはB-17重爆撃機までが配備されていた為 1941年日本軍のフィリピン攻略の際は最初のターゲットとなった。戦後は、1946年から 13空軍(13AF)がクラークAFB(Clark AFB)に本拠地を置き 東南アジアににらみを利かす拠点であった。1947年にフィリピンは独立を果たすが フィリピンとアメリカの軍事条約によりその後も米軍基地として使われた。ベトナム戦争時は、補給および出撃の拠点として重要な役割をおっていたが、植民地時代の幻影は消え去ることがなく 米軍の存在に反対するフィリピン人によるテロなどは後を絶たなかった。終止符を打ったのは、マルコス政権の崩壊とピナツボ火山の大噴火だった。火山による煤煙で基地として使用不能な状態になり しかもアキノ政権により軍事条約の継続ができなくなった米軍は 1991年 最も重要であったスビック海軍基地も含めフィリピンから全面撤退したのである。これにより100年続いたフィリピンでの米軍のプレゼンツは消えてしまった。
RW18のアーミング・エリアで待機する2機のF-4、手前が当時話題の華であったF-4Gである。従来はレードームの下に20oバルカン砲を装備していたが、G型はそれを撤去して 対空ミサイルのレーダー波を感知するMD社が開発したレーダーのレシーバーが付けられ 顎が一層突き出した形となっている。また 尾翼のフィンチップにもレシーバーが付けられ こうして並ぶとE型との違いは容易である事が、判るであろう。
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F-4Gは、アメリカ本国のジョージ空軍基地の35TFWを皮切りに配備がスタートしたが、生産数がそう多くなかった為 当時は、フィリピン・クラーク(Clark AFB)の3TFW90TFSと西ドイツのスパンクダーレムの52TFW 81TFSに配備された程度であった。対SAM対策としてはF-105G-F-4Cと繋いで来た業務をF-4Gが専任で受け継ぎ 現在はF-16Cが兼任している。このG型は、体に56個ほどのレシーバーをつけ ”空飛ぶ触覚”である。