”PN”のレターをつけたF-4Eは、私にとっては憧れの存在だった。何せ 日本から遠く離れた南国に駐留する部隊の為 撮影の機会がなかったもので 初めて嘉手納で撮影できた時は、貴重な宝でも手に入れたような気分になったものだ。ベトナム戦の頃は、405FWのF-4D”PN”が横田にもちょくちょく来ているが 私が撮影を始めた1970年中盤の頃は”PN”が撮れる事は本土ではほとんど無かった(・・と思う)。後に見事な388TFW並みのシャークマウスを入れるようになってからは、横田にクロスカントリーでよく飛来するようになったが 逆に私自身が就職で撮影にいける環境で無くなった為 あまり撮れず消化不良で ベトナム迷彩のF-4Eを思い切り撮ってみたいと言う思いが今でも残っている。
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 日米のDACTと言えば、今や年中行事となったが そもそも1978年11月に三沢基地で この部隊を向い入れてスタートしたのが 最初である。当時日本で開催された場合”コープノース” フィリピンのクラークで開催された場合は、”コープサンダー”と呼ばれていた。コープノース79-1で、自衛隊の参加部隊は、8SQのF-86、302SQのF-4EJ、203SQのF-104J、3SQのF-1と4部隊4機種・・バラエティ豊かだった。
Insignia of 90th TFS
PN-392 (71-1392)
Insignia of 3rd TFS
第3戦術戦闘航空団(3TFW)のF-4Eは、フィリピン空軍と共同してフィイピンの防空を行うことを目的としていた。しかし ベトナム戦争後 当時のフィリピンには、あまり脅威とする仮想敵国はなく 制空/防空より地上攻撃の方に訓練も予算も使っていたようだ。嘉手納の67TFSがF-15Cに機種交換し 対レーダーサイト攻撃(ワイルド・ウィーゼル)の役割を 80TFSが受け持つことになって 益々この傾向が強くなった。F-4Eの行動半径で言えば 極東への直接の作戦行動は難しいため 地上攻撃の後方支援部隊として いざとなれば沖縄のKC-135支援を受け 韓国各基地/横田/三沢にも展開して行動しただろう。クロスカントリーはそういった時の為の訓練の1つでもあったはずだ。
1980年代に入り 機首にシャーク・ティースを入れた3TFWのF-4E。シャーク・ティースは、51CWのものと口の輪郭が異なり ベトナム戦で有名だった388TFW(”JJ”とか”JV”のテールレターを付けていた)のF-4Eのものに近かった。3TFWの所属機は、80年代に入ってから クロスカントリー等で横田基地を訪れることが多くなり この何とも魅力的な機体は、多くの航空マニアを魅了した。
Wings
1977年に初めて撮影した3TFWのF-4E尾翼の”PACAF"のインシグニアはまだ大きかった。この時 安物のZoomレンズを使っていた為 機首にピントが合っても 絞りがたりないと 尾翼がピンぼけ・・・これを反省に200mmの単焦点LENSに買い換えた。
嘉手納RANWAY-23RにランディングするF-4E(PN-312)。オーバーホールして間もない為か 塗装が真新しい、上のPN-344と迷彩パターンが若干異なる。テールレター以外 所属を判別できるものは 何処にも書かれていない。
”PACAF”のマークは、小型化されてしまったが3TFSのマークも入ったフル塗装のF-4E。このPN-089は、後に横田にも何度か 飛来している。3TFWの機体は、1980年代後半には、グレーのエジプト・ワンと言う迷彩になったが 私は撮ったことがない・・・フル
エグリンAFBの31TFWがE型からD型に機種変更して 転換訓練部隊となった為 余剰となって 3TFWに廻って来た機体である。フィリピンからの飛来の場合 このように 翼の2本の燃料タンクとセンタータンクの3本タンクにパッケージ・ポットと言う出で立ちが 多かった。 
PN-391 (71-1391)
PN-458 (68-0458)
PN-355 (68-0355)
PN-089 (71-1089)
PN-312 (68-0312)
PN-344 (67-0344)
E型の特徴の1つに 翼の前縁スラットがあげられる。ここ機体では、このスラットがはっきり判る。これは 空戦(ドッグファイト)における機動力を向上させた。また 翼の付け根に筒のようなものがあるが これは後期型につけられていたコンバット・ドキュメーション・カメラであある。
PN-392 (71-1392)
PN-088 (71-1088)
3TFS / 90TFS  (F-4E/G)