Wings
青森県三沢市にある本州最大の米軍基地 三沢空軍基地は、小川原湖に面した平地に位置する。元々 日本海軍が 太平洋戦争中に航空基地として作ったものだが、終戦後米軍が 陸軍の飛行場として使用 やがて東西緊張の高まりと共に三沢の戦略的な価値は次第に高まり 当時極東ソ連軍をにらむアメリカ軍の1大拠点となった。
1982年9月の日米協議で正式に第432戦術戦闘航空団(432TFW)の配備が決まり 1個飛行隊25機を定数に2個飛行隊50機のF-16が日本に来ることになった。日本の航空ファンにとっては 正に朗報である。何せ それまでは、日本の本州には戦闘機の実戦部隊はいなかったからであり これで横田基地や方々の航空祭でF-16がふんだんに撮れると喜んだ。しかし この三沢へのF-16の配備は、当時国際的には 大きな波紋を広げた。三沢のF-16は、西はロシア沿海州から北は千島列島まで届く 当時のソ連軍極東基地ののど下に突きつけられた刃物だったのだ。当時のソ連の新聞は三沢のF-16配備に言及し 「三沢にはF-16用に 公式には禁止されている核兵器の貯蔵施設が建設され これら兵器の他 化学兵器/細菌兵器を使用した総力戦が開始された場合 三沢のF-16の最大任務は、沿海州とサハリンのソ連軍事施設であるとは明白だ!」等とかなり過激な反応を見せた。旧ソ連が崩壊し 冷戦がなくなった今も アメリカにとっては、アラスカと並んでロシアに対応する重要な戦略諸点であることは変わりない。ロシアは今たまたま力を失っているだけであり 国力と自信.を回復すれば何時また脅威になるか分からないからである。また この基地は、緊張の高まる北朝鮮への潜在的盾にもなっている。ここを飛びたったF-16は、僅かな時間で北朝鮮の固定レーダーサイトを無力化させる能力を持っている。
35FWに名称が変わった三沢のF-16C/D航空団 暫くは”MJ”のレターを残していたが 伝統の”WW”に切り替えられた。手前の機体は”808”を”BOB”に書き換えている。 
1994年10月1日 432FWは、名称を35FWに変更した。空軍の航空団削減にあたり伝統ある第35戦闘航空団の名前を残したかったらしい。35FWと言えば閉鎖されたカルフォルニア州ジョージ空軍基地にあって当時F-105Gを使った(後にF-4G)ワイルド・ウィーゼル部隊で記憶に濃い部隊である。しかし この航空団元々日本の地で生まれた部隊であり 今の入間基地(かつてはジョンソン空軍基地と呼ばれた)で編成されている。その後 横田に移動 ベトナム戦では当時の南ベトナムのファン・ラン基地をベースに活動 1971年11月から米本土のカルフォルニア州ジョージ空軍基地で"Wild Weasel"の任務についている。"Wild Weasel"は、御存知の通り”野いたち”の意味 敵のレーダーを探って叩き潰す役割を負っていた。レターに”WW”を入れているのは この任務を示したところから来ている。 
35FW
35FWのレターが ”WW”に切り替わるまで 従来のMISAWA-JAPAN”MJ”をつけていた各機、しかし 35FWに変わったことは、胴体のコックピット後ろにグレーで書き込まれたファルコンで分かる。上は、雨模様の中 横田基地を訪れたF-16Cの2機。このページは”MJ”のレターを付けた最後の機体を並べてみることとする。上写真の後方の複座型F-16D、MJ-837は、2001年4月3日天が森の射爆場で対地訓練中に墜落し 失われた。パイロット マーク・ハードリ中尉は、ベールアウトして無事だった。
click here
NEXT
写真左1の黒人のパイロットは、その後設立したデモチームの最初のデモンストレーターである。
上写真のF-16D(90-0837)と左写真のF-16C(90-0838)1995年4月に14thFSの補充として ヒルの388thFWなどから飛来した4機のうちの2機だ。右写真の90-0804は、テールコードが”WW”となった後 1998年7月24日三沢の滑走路上で事故を起こして パイロットが負傷している(後に病院で死亡)。
HOME