↑ 1994年10月2日 航空自衛隊創設40周年の記念行事で百里に展示された13th FSのF-16C(MJ-422)。既に432d TFWから35th FWに部隊転換した直後であり、コックピットに書かれていた梟マークは消されている。

1994年10月1日 432d FWは、名称を35th FWに変更した。空軍の航空団削減にあたり伝統ある第35戦闘航空団の名前を残したかったらしい。35th FWと言えば1992年に閉鎖されたカルフォルニア州ジョージ空軍基地にあって、当時F-105Gを使った(後にF-4G)ワイルド・ウィーゼル部隊で、戦歴や伝統の面でも記憶に濃い部隊である。実は、この航空団元々日本の地で生まれた部隊であり、今の入間基地(かつてはジョンソン空軍基地と呼ばれた)で編成されている。その後横田基地に移動、そしてベトナム戦では当時の南ベトナムのファン・ラン基地をベースに活動していた。1971年11月から米本土のカルフォルニア州ジョージ空軍基地で"Wild Weasel"の任務についている。"Wild Weasel"は、御存知の通り”野いたち”の意味、敵のレーダーを探って叩き潰す役割を負っていた。レターに”WW”を入れているのは、この任務を示したところから来ている。(2004年12月 記) 
35th FWのレターが ”WW”に切り替わるまで 従来のMisawa-Japan”MJ”をつけていた各機、しかし35th FWに部隊が変わったことは、胴体のコックピット後ろにグレーで書き込まれたファルコンで分かる。上は雨模様の中、,横田基地を訪れたF-16Cの2機。このページは”MJ”のレターを付けた最後の機体を並べてみる事とする。上写真の後方の複座型F-16D/MJ-837は、2001年4月3日天が森の射爆場で対地訓練中に墜落し失われた。パイロットのマーク・ハードリ中尉はベールアウトして無事だった。
上写真のF-16D(90-0837)と左写真のF-16C(90-0838)1995年4月に14th FSの補充として ヒルの388th TFWなどから飛来した4機のうちの2機だ。右写真の90-0804は、テールコードが”WW”となった後 1998年7月24日三沢の滑走路上で事故を起こしてパイロットが負傷している(後に病院で死亡)。
↑ 35th FWに名称が変わった三沢のF-16C/D航空団 暫くは”MJ”のレターを残していたが伝統の”WW”に切り替えられた。手前の機体は”808”を”BOB”に書き換えている。 
青森県三沢市にある本州最大の米軍基地。三沢空軍基地は小川原湖に面した平地に位置する。元々、日本海軍が太平洋戦争中に航空基地として造った飛行場だが、終戦後米軍が陸軍の飛行場として使用、やがて東西緊張の高まりと共に三沢の戦略的な価値は次第に高まり、当時極東ソ連軍を睨むアメリカ軍の1大拠点となった。
1982年9月の日米協議で正式に第432戦術戦闘航空団(432d TFW)の配備が決まり、1個飛行隊25機を定数に2個飛行隊50機のF-16が日本に来ることになった。日本の航空ファンにとっては正に朗報である。何せ、それまでは日本の本州には戦闘機の実戦部隊は居なかったからであり、これで横田基地や各地航空祭でF-16がふんだんに撮れると喜んだ。しかし、この三沢へのF-16の配備は、当時国際的には大きな波紋を広げた。三沢のF-16は、西はロシア沿海州から北は千島列島まで届く、当時のソ連軍極東基地の喉元に突きつけられた刃物だったのだ。当時のソ連の新聞は三沢のF-16配備に言及し「三沢にはF-16用に公式には禁止されている核兵器の貯蔵施設が建設され、これら兵器の他化学兵器/細菌兵器を使用した総力戦が開始された場合、三沢のF-16の最大任務は、沿海州とサハリンのソ連軍事施設であるとは明白だ!」等とかなり過激な反応を見せた。旧ソ連が崩壊し冷戦が無くなった今も、アメリカにとってはアラスカと並んでロシアに対応する重要な戦略諸点であることは変わりない。ロシアはソ連崩壊後、今たまたま力を失っているだけであり、国力と自信.を回復すれば、何時また脅威になるか分からないからである。また、この基地は緊張の高まる北朝鮮への潜在的盾にもなっている。此処を飛び経ったF-16は、僅かな時間で北朝鮮の固定レーダーサイトを無力化させる能力を持っている。 (2004年12月 記)
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写真左1の黒人のパイロットは、その後設立したデモチームの最初のデモンストレーターである。
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