36TFS
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51CWのF-4Eは、岩国のFSDには、展示されることが多かったが、肝心の空軍基地である横田に展示されたのは、1982年になってからである。この時 展示されたのは 36TFSではなく497TFSのものであり、尾翼のフィンチップは”青”。
& 497TFS
1984年青森県三沢基地の航空祭に展示された36TFSのF-4E 2機。
 ご覧のように 上の機体は下面も迷彩を施した所謂”オーバラルカモフラージュ” 下の機体はこの頃から アメリカ空軍機に やたらと増え始めたダーク・グレーとダーク・グリーンの”ヨーロピアン1”..と呼ばれる迷彩になっていた。
 また 鮫口も従来の直線的なShark-Mouth”から口上下のラインに曲線を加えたものに変更されている。
 確か51TFWのユーロピアン-1塗装の機体が、日本で確認され始めたのは、1984年の6月からである。
烏山空軍基地(Osan AB)は、朝鮮戦争時代の1952年12月に建設された基地で 当時はK-55と言う名前で呼ばれていたそうである。首都ソウルの直ぐ南60qに位置する韓国最大の米軍基地で 3000m級のRunwayを持つ。首都に隣接し北鮮との国境とも近いことから 有事には真っ先に攻撃を受けることになる。そのため 機体は蒲鉾型のスチール製シェルターに収められ堅固に守られており 警備は特に厳重でたまに開催されるOHでもバカチョン・カメラ以外は持ち込みも出来ないそうである。このオーサンABの航空祭に2回ほど遠征した人の話しだと エプロンの目の前を多数の機体が転がり実に壮観だそうであるが カメラ持込にきびしい制限があれば マニアにとっては、かえって精神上よくない!!
497TFSは、テール・レターを従来の”OS"から”GU”に変更、フィンチップのくすんだ色で見分けなくとも 36TFSか497TFSか直ぐ区別できるようになった。この”GU”は大邱空軍基地(Taegu AB)からとったもの。この時期に同じ51TFWの所属で水原空軍基地に駐留している25TFSのA-10はテールレターを”SU”に変更している。51TFWのF-4Eはヨーロピアン-1の出で立ちで 2度ほど横田に展示されたが その後エジプト-1のグレー塗装になってからは 確か1度もOHには展示されてなかったと記憶する。
F-4E of 36TFS (67-0391)
F-4E of 36TFS (68-0365)
F-4E of 497TFS (68-0339)
F-4E of 497TFS (69-7557)
F-4E of 497TFS (68-0339)
Pacth of 497TFS
2003年11月本件について 水本さんからこんな情報と写真を頂いた。
「先日(2003年11月1日)烏山空軍基地に行きましたが道路標識やバスの行先表示にも依然として「K-55」が使用されていました。基地の名前は「烏山」となっていますが、韓国国鉄(KORAIL)の急行に当たる「無窮花号」の停車駅でないため、SEOULからは高速バスで行き、烏山のバスターミナルから15分くらい走ってOsan ABのMain Gateにつきました。Gate前には、米空軍のワッペンやお土産屋がたくさんあり、3〜4時間うろうろして入った店の女主人がたまたま日本語が話せたので、たずねたところ夕方のラッシュで高速道路は駄目だし、帰りは路線バスで烏山の一つ南に位置するPyongTaegに行き「無窮花号」に乗ったほうが早いとおしえられて乗ったのバスの表示が「PyongTaeg 
− K-55」でした。」 右写真はOsan ABのメインゲート、意外と市街地の真ん中にあり こじんまりとしている。
Many thanks!! Mr.Mizumoto
横田基地のOpenで最後の展示となった497TFSのF-4E。51TFWもPACAFのインシグニアも入っていない超ヨーロピアン・スキームで少しがっかりではあったが、この時期は、OV-10のようなレアな機体からC-141、C-5までこのスキームが行き渡り全盛でだった。私が韓国駐留のF-4Eを見たのは、これが最後となった。 
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