左の写真は、1991年以降432d FWに名称変更になってからの各飛行隊の所属機であるが、指令官機は、(87-0320)に変更されているのがわかる。この頃から何処の航空際にも出展される常連さんになった。
(1993)
(1993)
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三沢の訓練空域の75%は、日本海側にあるそうである。三沢の南200マイルから 北海道の北端にまで広がっている広い空域だが、ほとんど海である。パイロットにとっては、万一のベールアウトの際 それが凍るような冬の海であれば 死に直面する事態ともなる。単発エンジンのF-16には、その為
信頼できるエンジンが必要である。
三沢に配備が始まったF-16C/Dのブロック30は、エンジンをプラット&ホイットニー製からGE社のF110-GE-100に変え よりパワフルになっている。また 夜間攻撃能力が大幅に向上したこと また AGM-45シュライク、AGM-88 HARMなど対レーダー攻撃用のミサイルの運用が可能になり 極東での彼らのプレゼンスは、一層高まった。当時 ハープーン対艦ミサイルの搭載も検討されていたが、これはどうなったのだろう・・
ブロック30の受領により 432d TFWは、ワイルド・ウィーゼル部隊としての新たな任務を請け負うことになったのだ。これにより従来 3d TFW 90th TFSが担ってきたこの任務をいつでも引き継げるようになったわけである。
F-16A/B型からC/D型ブロック30に素早い変更を完了した432d TFWは、極東地域でも最も東に位置する要石となった。ここ三沢基地からF-16の行動半径でカバーできるのは、ウラジオストックはもちろんの事 千島列島などもほとんどカバーできる為 当時のソ連極東艦隊にとっては、相当な脅威になった事だろう。何せF-16は、小型ながら戦闘機と言うより 爆撃任務を重視された戦闘爆撃機である。F-16の配備にしたがって 三沢基地には堅牢なコンクリートシェルターが続々建設された、アメリカでも最新タイプのシェルターであり 当時在日米軍の為の日本の国家予算 所謂”思いやり予算”と言うものが相当使われた結果である。F-16C/Dは、お陰で全機完全にシェルター運用が可能になり 冷戦時のNATO軍基地並みの設備を持つことになった。また この頃には13th TFSと14th TFSを支援する為 HH-60Gペイブホークを装備した第39救難飛行隊まで常備された。(後に嘉手納に移動)
 1991年に432d TFWは、アメリカ空軍の組織改変により 432d FWになり”戦術”の文字がなくなった。

岩国に展示されたF-16C MJ-501.この写真も含め 私の知らないところで”F-16.net”という 有名なサイトに私の写真が多数掲載されていた。一言ぐらい連絡がほしかったが まぁ良いでしょう。このサイト、F-16に関しては、ほとんどパーフェクトな情報量を誇るが、さすがに極東の一部情報や1980年に行ったF-16配備直後のHillのF-16Aの写真などは、一部手に入らず私のサイトから転用したようである。ある意味光栄ではあるし 私もこのサイトの情報を使わせていただく。この機体 現在は、テキサスの457th FWで使われているようだ。

1989年8月横田基地に展示されたF-16C MJ-558)、最後のチェッカーテイル F-16Cのブロック30も僅かな期間で ブロック50に取って代わった。完成後すぐに三沢に持ってきたこのF-16C 85-1558も Block-50への転換で 1990年にはマクディール空軍基地の72nd FSに移動している。
(F16C Block-30B 85-1558)
(F16C Block-30B 85-1567)
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(85-1488)
Wings
back
上の写真は、F-16C/Dに換装したばかりの頃の432nd TFWの機体である。コクピット後方に新たに432d TFWのシンボルである”梟”のシルエットが書き込まれた。13th TFSは、白黒のチェック、14th TFSは、白黄のチェックで尾翼のフィンチップを飾っているが、432d TFWの指令官機(85-1488)だけは、チェッカーが斜形である。尚 85-1488は、F-16C型となって432d TFWの2代目司令官機であったが すぐに別の機体に交換された。
 その後 1991年のアメリカ空軍の組織変更により432d TFW(戦術戦闘航空団)から432d FW(戦闘航空団)に変わった以後 尾翼のフィンチップから従来のチェッカーがなくなり 13th FSは赤、14th FSは、黄のラインを入れるようになった。
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F-16C Block30B (85-1501)
三沢のF-16がA/B型の時代は、空対空訓練と低空飛行による爆撃任務が主流であったが、C/D型に換装された後は、対防空網の攻撃に主体が置かれるようになり 低空での訓練は、全体の6.5%に減少されたとされている。資料によると1万から2万5千フィートの航空での訓練が主流だが 比較的天候の不安定な東北地区では、有視界飛行のため どうしても低空での飛行訓練が避けられない、また 原子力関連の廃棄物保管施設など飛行禁止空域も多く 民間航空路も重なっている。三沢のパイロットは、そういう意味では 大変なようだ。
13FS ”Panthers"
14FS ”Samurais"
(85-1558)
F-16C (85-1504) 1989