ベトナム戦で有名になった第8戦術戦闘航空団の起源をたどると 第1次大戦のフランスまでさかのぼる。当時は第8戦闘機グループとして 1917年にテキサス州キャンプケリーで生まれ フランスの戦線に送り込まれている。1931年4月バージニア州ラングレーフィールドに移動しそこでは訓練飛行を担当した。この飛行隊は陸軍所属であったが 1940年に記録の中にP-40戦闘機を使って空母ワスプからの発艦テストを行ったとされたり P-39エアコブラのテスト飛行を担当したと書かれていることから 実験飛行隊の要素を持っていた部隊だったのだろう。第2次大戦勃発後 アイスランドに配備され P-40を操縦するジョセフ・サーファー中尉が ドイツ空軍の長距離哨戒機Fw-200Kを撃墜して シルバースターを受賞した。
 太平洋戦争開始後 日本軍の南下によりオーストラリアの防衛が必要となった。この部隊は、1942年1月サンフランシスコからオーストラリアのブリスベーンに移動 防空の任に就く事になる。ここから 日本とのかかわりが 深くなってくるわけであるが オーストラリア本土とニューギニア戦線を往復しながら日本軍と対峙してしてきた部隊である。
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8TFWの2個飛行隊の1つ80th TFS(現 80th FS)は、スコードロンネーム”Headhunters”そのまま首狩族である。彼らが 部隊名にこの名をつけたのは ニューギニア戦線で戦っていた太平洋戦争時で 1943年ニューギニア・ボルネオに多かった首狩の風習を持つ原住民に因んで つけた部隊名である。インシグニアの人骨が”V”字担っているのは Victoryを示す。
 首狩族というと何か特殊な部族に聞こえるが ヨーロッパでもアジアでも戦争に勝利した時に相手の首を落として 凱歌をあげると言うのは 極自然に行われていたことであり 特に珍しいことではない。日本人は、特に大和朝時代から「見知るし頂戴いたします」と敵将の首をおとして それが君主に対する勝利の証拠と代償を得る証としており 雑兵でも取った首の数で出世が決まったぐらいだから アジア有数の首狩族であったわけだ。太平洋戦争時代に至っても首を落とす習慣は中国戦線 東南アジア方面でも散見された。文明が発達してからは野蛮なこととして ヨーロッパではあまり行われなくなり いまだにその風習を持つ原住民を野蛮人のように”首狩族”と呼んで特別扱いしたが 元々 世界中の何処でも行われていた事なのである。現代社会では 新たな首狩族が商売として活躍し 会社から優秀な人材を高い報酬で刈っていく。
下写真は、横田基地に飛来した首狩族の酋長機である。すでに A型でなく F-16C型のブロック30となっている。
8TFWのシンボルである狼の頭は、尾翼に移動し インテークに首狩族のインシグニアを描いている。正にタッチダウン直後でエンジン排気口両側のエアブレーキが作動し減速の体制。
80th FSでは、首狩族という部隊名の他 ”Juvats”と言う聞きなれない部隊名を使用する。本来Juvatと言うのはラテン語では”ユワァッツ”と発音するようだが 本来「助ける」と言う動詞である。米空軍ではラテン語のモットーをインシグニアに入れ込むのが流行していた時代があり このJuvatsは、元々多くの要員をもらった第391戦闘迎撃飛行隊のモットーであった”AUDENTES FORTUNA JUVAT”から由来している。 Fortes Fortuna Juvat”は、運命は強いものを助ける””AUDENTES FORTUNA JUVAT””幸運は勇者に味方する。”で この中から何故かJuvatsだけが抜き出されて使用されているのだ。戦闘部隊のモットーとしては実にすばらしい言葉で 彼らが使いたがるのは理解できる。
彼らは太平洋戦線では、P-38を主として使用し225機の日本軍機を撃墜 朝鮮戦争ではF-80で20機の中共および北朝鮮機 そしてベトナムでは6機のMigを撃墜している勇者でもあるのだ。
The Period of F-16C/D
80th FS
Juvatsとは?
(2007)
(90-0703)
(87-0375)
(86-0322)
(87-0366)
(86-0320)
米韓相互協力を示すパッケイジポッドのマーキングと パイロットの肩章に示すデザイン。特にラテン語と思われる”VENEFICI BELLUM"は、毒殺者の殲滅を示しており 18世紀の哲学者カントの「永遠の平和のために」と言う著書の一説から取っている可能性がある。よくわから〜ん・・・
(86-0335)
(86-0301)
(2006)
(2006)
80FSに所属していたF-16C/Dは、機体の交換で ほとんどがアラスカ州イールソン空軍基地の18FSと入れ替わってしまった。下は、2009年8月22日 横田のOHに展示された第8航空団 第80戦闘機中隊のF-16Cであるが 90-0717は、2006年アラスカのエルメンドルフで私の目の前をタキシングした機体である。でも 新しいシリアルの機体が撮れる事はうれしいことでもある。
80FSのインテークカバーには、首狩族のシルエットが書かれてあった。槍を持って踊りかかるニューギニアの首狩族 ニューギニアに由来していることを知っている人は、部隊所属の若いパイロットでも少ないだろうが イメージはだんだんとオカルト的に変化している。 
(88-0543)

80FSのパイロットたちは、ほとんどが1年で交代(単身赴任)、訓練の機会を増やすため所有する3F-16D複座型での爆撃投弾も行っている。黄海の霧による訓練期間の限定により 投弾訓練の機会は少ないそうだ。

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F-16C/Dのブロック30を使用してきたこの部隊は、F-110エンジン搭載のブロック30-Dと言うタイプだそうで チャフとフレアの搭載量も倍増したタイプだそうだ。シスタースコードロンの35FSが先にブロック40に移行した後も しばらくこのタイプを使った。
この飛行隊に3機存在するF-16D(複座型)には、写真でもわかるようにエンジンのインテイク右にAN/AAQ-14照準ポッドを搭載し 単座と同様の訓練に使っている。
ファントムの時代にはよく見られたALQポッド、つまり電波妨害用のポッドであるがF-16にはあまり取り付けたのを見る機会が少ないように思える。その中でも 上下写真のF-16Cは、AN/ALQ-184電子妨害ポットをつけており 地上からのミサイル攻撃の自衛手段としている。
Yokota AB in Aug-20-2011