A-10's Page

このドラゴンの頭をインシグニアとする357th TFSは、1942年にフロリダ州オークランドで生まれた古い飛行隊で、P-47サンダーボルトの配備を受け、大戦中のドイツ占領下のフランスにある、鉄道、飛行場、橋などを目標とした重爆撃を繰り返した。1944年からP-51ムスタングに換え、ノルマンディ上陸以降の連合国軍のカバーを行っている。

カルフォルニア州からアリゾナにフリーウェイを南下すると、大地はゴロゴロした岩山か赤茶けた砂漠である。昔の西部劇で見たような大きなサボテンが、本当ににょきにょきあちこちに生えていて、”これぞアメリカ西部”と言う雰囲気をかもし出していた。此処まで来ると砂漠色したフォード社のピント(車名)の中で聞くラジオ放送は、メキシコに近いせいで英語放送よりラテン語放送ばかりである。1980年2月、ディビス・モンサンAFBを目指す我々は、真夏のような暑い日差しを浴びながら ツーソンの市街地に入ったが、避寒地として有名なこの町では ホテルの屋外プールで、太った白人の女性が 気持ちよさそうに日光浴を楽しんでいた。私は長いドライブで疲れた身体を休めようと 近くのセブンイレブンに駐車してチリバーガーを購入したが、これがまた味が悪いうえに高いときている。アメリカ旅行した人は、理解できると思うが この国は原材料はやたら安いが 少し手も加工が加わるとえらく高くなるのだ。しかも この店でツーソンの市街地図を購入して 基地を探そうと思ったが売っていない。仕方ないので 勘で探すこととした。

「こんな平坦な荒野である、大きな基地などすぐ見つかるだろう」なんて考えながら車を進めたが、それらしい場所まではすぐたどり着いたものの、基地ランウェイの位置がわからないままポイントを探しあぐねていたのだ。しかし とてつもなくでかい基地である、ランウェイのポイントを見つける前に航空機の広大な保管場所(墓場)などが目に飛び込んできて、本来の目的も忘れ撮影、ピマの航空博物館にも行き着き砂漠の中に雑然とおいてある種種の古い機体などを撮っていたところ、突然A-10 2機が頭の上を通り抜けた。「ありゃ、これはもう少し下がれば200ミリで撮れるじゃないの!」慌てて後退である。風向きによってピマの展示エリア内で ランディングが撮れるなんてラッキーである。ディビスモンサンAFBには、1976年からA-10Aが配備されており 当時初期のゴースト・グレー色をまとった機体を狙って ここまで来たのだった。ランウェイの方角がわかれば 後はポイントも探しやすい、午後は風が変わったが 的確に場所を探し得て撮影を楽しんだ。(2006/1 記)

カラー写真を撮っていないので記憶にないのだが、尾翼のチップを黒か濃緑色に染めた機体が、358th TFSだったはずである。狼の頭をインシグニアとするロボス飛行隊。1979年にA-10Aを受領し始めているので、我々が撮影した1980年はA-10の配備2年目に当たる。新しいクリーン迷彩の機体が多かったように記憶する。

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ベトナム戦争時は、F-105Dテールレター”RU”を用いて、1964年には横田基地配備、そしてタイのコンラート空軍基地にも派遣され、南ベトナム軍の上空からの支援を行ったとされる。1966年タクリ空軍基地へ移動、1970年までインドシナ半島での任務に就いた後、本国に戻りA-7Dを受領している。

ベトナム戦争時、333rd TFSは、F-105サンダーチーフを使っており タイのコンラット九軍基地に配備されていた。1965年から1970年まで、尾翼に”RK”のテールレターを入れてタイからベトナム・ラオス・カンボジアなどの上空で戦闘任務に就き、本国に戻ってA-7Dを受領している。

白黒写真では判りにくいが、この尾翼のチップを黄色く塗って、中に電光を書き入れていたのが、357th TFSの機体で、当時いた3個飛行隊の中で最後にA-10Aを受領した中隊であった。A-10Aは、1979年に受領し2022年時点でもA-10Cに変えて使用している。

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355TFWは、1976年3月にA-7Dから A-10Aに機首転換が開始された。まず 手始めに333TFTS、次に358TFTS 1979年には最後の357TFTSがA-10Aを装備し A-10ウォートホッグの一大訓練基地となったのである。1991年10月に 訓練舞台の使命を終えて 正式な戦闘航空団となり355FWに改称されている。355FWは、元々マクディル空軍基地で訓練部隊として生まれた4453TFTWが、ディビス・モンサンに移動し 解散後に編成された訓練専門部隊であった。当初はF-4B/Cを使っておりテールレターは、”DM”。F-4Cは、その後ルークAFBに移管され A-7Dをルークから譲り受けた歴史を持つ。

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最初に目の前に現れたA-10Aは、この機体がデビュー当時のライトグレー色。この後 1980年代は、ヨーロッパでのワルシャワ条約軍相手の戦いを想定して ほぼすべての部隊が、ヨーロピアン-1と言うダークグリーン系の迷彩塗装に衣替えしたが、ここデービス・モンサンのA-10Aは、1975年会計年度発注の機体が多く、当初のライトグレー色が多かった。

Wings

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1980年においては、真新しいグリーン系の迷彩ヨーロピアン-1のA-10Aで、初めて見るこの迷彩A-10Aに興奮したものであった。この尾翼のチップ(先端部分)を赤く塗って白色のチェックを入れていたのが、333rd TFSで1976年から1994年までA-10Aお使い、F-15Eに機種交換した部隊。F-15Eを受領して後は、スイモア・ジョンソン空軍基地に移動した。

4機のフォメーションで フライパスするA-10A、1980年当時 ヨーロピアン迷彩はまだ珍しく ここディビス・モンサンでも3機に1機程度の割にしか存在しなかった。
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Insignia of 355 FW

各飛行隊共に、翼下には何もつけず、パイロットは、新規配備された機体に習熟するところから始めていたようである。

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ディビス・モンサンは、第一次大戦中に事故で死亡したツーソン出身のディビス・モンサン中尉に因んでつけられた基地だ聞いていたが、実はサミュエル・デービスとオスカー・モンサン両中尉の名前を合わせたものだそうだ。この基地はB-24爆撃機などの訓練基地として使われ 対戦終了末期はB-29の訓練も行われていたらしい。その後 米ソ冷戦時代はSACの訓練基地としてB-47やU-2などのベースとなっていたが、1971年頃から 355TFWが配置され 戦術空軍の訓練基地として動き出している。
「ボォーン、ゴボゴボ」といった感じのTF-34エンジンの特徴あるエンジン音は、いまやすっかり慣れたが 当時は異様な音に聞こえたものである。A-10の開発当時 この機体を始めてみた人の誰かが「トカゲが双眼鏡を抱えているようだ」と言ったそうだが こうしてみると機首のあたりは何か爬虫類を想像できる形態ではある。