Wings
A-10's Page
カルフォルニア州から アリゾナにフリーウェイを南下すると 大地は、ゴロゴロした岩山か 赤茶けた砂漠である。昔の西部劇で見たような大きなサボテンが 本当ににょきにょきあちこちに 生えていて”ここがアメリカ西部”と言う雰囲気をかもし出していた。此処まで来ると砂漠色したフォード社のピント(車名)の中で聞く ラジオ放送は、メキシコに近いせいか 英語放送より ラテン語放送ばかりである。。1980年2月 ディビス・モンサンAFBを目指す我々は、真夏のような暑い日差しを浴びながら ツーソンの市街地に入ったが、避寒地として有名なこの町では ホテルの屋外プールで、太った白人の女性が 気持ちよさそうに日光浴を楽しんでいた。私は長いドライブで疲れた身体を休めようと 近くのセブンイレブンに駐車してチリバーガーを購入したが、これがまた味が悪いうえに高いときている。アメリカ旅行した人は、理解できると思うが この国は原材料はやたら安いが 少し手も加工が加わるとえらく高くなるのだ。しかも この店でツーソンの市街地図を購入して 基地を探そうと思ったが売っていない。仕方ないので 勘で探すこととした。「こんな平坦な荒野である、大きな基地などすぐ見つかるだろう」なんて考えながら それらしい場所までは、すぐたどり着いたが ランウェイの位置がわからないまま ポイントを探しあぐねていたのだ。しかし とてつもなくでかい基地である、ランウェイのポイントを見つける前に 航空機の広大な保管場所(墓場)などが 目に飛び込んできて 本来の目的も忘れ撮影、ピマの航空博物館にも行き着き 砂漠の中に雑然とおいてある種種の古い機体などを撮っていたところ 突然A-10 2機が 頭の上を通り抜けた。「ありゃ、これはもう少し下がれば200ミリで撮れるじゃないの!」慌てて後退である。風向きによってピマの展示エリア内で ランディングが撮れるなんてラッキーである。ディビスモンサンAFBには、1976年からA-10Aが配備されており 当時初期のゴースト・グレー色をまとった機体を狙って ここまで来たのだった。ランウェイの方角がわかれば 後はポイントも探しやすい、午後は風が変わったが 的確に場所を探し得て撮影を楽しんだ。
4機のフォメーションで フライパスするA-10A、1980年当時 ヨーロピアン迷彩はまだ珍しく ここディビス・モンサンでも3機に1機程度の割にしか存在しなかった。
「ボォーン、ゴボゴボ」といった感じのTF-34エンジンの特徴あるエンジン音は、いまやすっかり慣れたが 当時は異様な音に聞こえたものである。A-10の開発当時 この機体を始めてみた人の誰かが「トカゲが双眼鏡を抱えているようだ」と言ったそうだが こうしてみると機首のあたりは何か爬虫類を想像できる形態ではある。
ディビス・モンサンは、第一次大戦中に事故で死亡したツーソン出身のディビス・モンサン中尉に因んでつけられた基地だそうだ、この基地はB-24爆撃機などの訓練基地として使われ 対戦終了末期はB-29の訓練も行われていたらしい。その後 米ソ冷戦時代はSACの訓練基地としてB-47やU-2などのベースとなっていたが、1971年頃から 355TFWが配置され 戦術空軍の訓練基地として動き出している。
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Insignia of 355 FW
355TFWは、1976年3月にA-7Dから A-10Aに機首転換が開始された。まず 手始めに333TFTS、次に358TFTS 1979年には最後の357TFTSがA-10Aを装備し A-10ウォートホッグの一大訓練基地となったのである。1991年10月に 訓練舞台の使命を終えて 正式な戦闘航空団となり355FWに改称されている。355FWは、元々マクディル空軍基地で訓練部隊として生まれた4453TFTWが、ディビス・モンサンに移動し 解散後に編成された訓練専門部隊であった。当初はF-4B/Cを使っておりテールレターは、”DM”。F-4Cは、その後ルークAFBに移管され A-7Dをルークから譲り受けた歴史を持つ。
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Insignia of 333d FS
Insignia of 354th FS
Insignia of 357th FS
Insignia of 358th FS
354th FS ブルドックスのDA-10A、スコードロンカラーは、ブルーである。1971年にA-7を受理 1979年からA-10を使っている。A-7D以前は、357th FS同様F-105の飛行隊であった。
357th FSは、1971年のA-7時代からずっとディビスモンサンAFBに常駐する部隊で スコードロンカラーは黄。機首のパイロットネームタグの頭がドラゴンであるところが面白い。この飛行隊は、1964年にはF-105の部隊として横田にも派遣された事があるが ベトナム戦争中はタイのタクリ基地やコラート基地で北爆に従事したつわものである。F-105時代のテールレターは、”RU"
下の2枚は、共に358th FS”ロボス”のA-10Aである。尾翼のチップラインに黒と白があるのは何故だろう。現在のディビスモンサンAFB A-10トリオの中で最後にA-10Aを受理したしんがりである。上の2つの飛行隊と比べ 創設時を除き戦闘機部隊となったのは1972年にA-10Aを受理した後で それまでは偵察任務を主たる任務とした。その為 WB-29、WB-50,WB-47、RB-57などを使っていた飛行隊で 横田基地にいた1951年から1972年までの間 WB-50 RB-57などで活躍していたので 古いマニアにはなじみがある飛行隊である。