アリゾナ州ディービス・モンサン空軍基地のA-7D、最初のA-7D航空団ルイジアナ州マートル・ビーチ空軍基地の354th TFWについで2番目のA-7D航空団となった。アリゾナ州ツーソン市のダウンタウンの南南東に位置し 隣接して飛行機の墓場と言うか集積場であるデイビスモンサン退役機保管場(第309航空宇宙維持再生グループ傘下の保管施設)があることでも有名。この空軍基地をベースとする航空団355thTFWは、1976年3月アメリカ空軍戦術空軍で最初にA-10Aに転換した航空団として有名で 1970年代後半3個あったtAC傘下のA-7D航空団の中で 唯一基地が閉鎖されず現在も現役部隊が存在する基地である。
 基地の名前であるデービス・モンサンは、聞いただけで人名から来ていることが分るが、第一次大戦のパイロット Samuel・H・Davis(1896-1921)中尉ともう一人 Oscar・Mothan の2名のツーソン出身の軍人の名前を合わせたのもだそうである。第二次大戦中は、多くの爆撃機部隊の訓練ベースとなり B-24からB-29などの大型爆撃機部隊がここで訓練を積んだ。前述の通り1976年にアメリカ空軍で最初にA-10Aを受領した航空団であったが、2019年時点で まだ3個飛行隊のA-10Cが第355戦闘航空団傘下で活躍しており A-10だけで40年を超える歴史を持つ。

 A-7Dを使っていた時期(1971-1979)は、最大4個中隊ある大所帯の時のあったが、354,357,358の3個中隊は、A-10Aに交換される1979年最後までA-7Dを使った。正式ではないが一部にシャーク・マウスを付けた機体が数機確認されている。



第333 戦術戦闘訓練中隊 (1971-1976)
第354 戦術戦闘機中隊  (1971-1979)
第357 戦術戦闘機中隊  (1971-1979)

第40 戦術戦闘機中隊  (1971-1972)
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第358 戦術戦闘機中隊 (1972-1979)
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355th TFW

355thTFWの機体で機首に都市名の入った機体であるが、この機体の初期の経歴は記録がない。ただ1970年代後半にA-7Dのノーズアートは比較的珍しい。メリーランド州ボーイ市と書かれたのは、パイロットの出身地なのか・・・最後は、ニューメキシコ州空軍で使われたようである。

上の二つのシャークマウス?は、355thTFWでは有名なマーキングで 模型やデカールも作られている。変わっているのは、目の書き方で眉毛を描くことで 誰かに似せているのかもしれないが、通常のシャークマウスとは趣が異なるものである。ともに1978年頃の塗装。

355thTFWの航空団司令官指定機として有名な機体71-0355である。尾翼のチップには、傘下4個飛行隊のユニットカラーのラインが入っている。機首の赤い星2つは何を意味するのか不明。この機体は、後にサウスカロライナ州空軍 プエルトルコ州空軍に移動し 1977年10月に事故で失われた。

355th TFWが最初にA-7Dを受領した時の4個飛行隊の一つであったが、1976年に同基地でA-10Aにいち早く転換して 種子飛行隊のような役割を演じたものと考えられる。他の3個飛行隊は、3年遅れでA-10Aに転換しており 1979年に355thTFWは、A-10A4個飛行中隊となっている。その後 この飛行隊だけが1994年F-15Eに転換して スイモア・ジョンソンに移動した。

第355戦術戦闘航空団の御三家のひとつ 第357戦闘機中隊のA-7D 70-1020 黄色いラインとドラゴンのマークが特徴。1972年にテールレターが統一となるまで ”DC”のレターを使用。今でもデービスモンサン空軍基地355th FW、A-10C御三家の一つである。

355thTFWでA-7Dを受領し その後1979年にA-10Aに転換し 40年以上にわたり地上攻撃を任務とする355thTFW御三家飛行隊の一つであるが、A-7Dのこれら3個飛行隊は、1972年テールレターを”DM”に統一した後 インシグニアを機体に入れなくなったので 尾翼のラインのみが中隊の識別手段となった。また 後にブルドッグのインシグニアも蒼顔だけのわかりやすいものに変更されている。

第40戦術戦闘機中隊は、赤いデビルのインシグニアをつけて”DD”のテールレターとグリーンの尾翼ストライプで機体を飾っていた。1971年から1年ほどでA-7Dを手放し ジョージ空軍基地へ移動。この部隊を引き継ぐ形で 358th TFSがA-7Dを受領して355thTFWに入った。40th TFSは、今エグリン空軍基地で40thFTSとして フライトテストの役割を追っている。