Andersen AFB
Maingate of Andersen AFB Sep,2004
グアム島のアンダーセン空軍基地といえば ベトナム戦争時B-52Dの出撃基地として誰でも記憶があるはずである。我々 航空ファンにとっても常駐している部隊があれば言ってみたい基地のひとつであるが 残念ながら100機以上のB-52が存在した昔のアンダーセンは、今はない。B-52が去った後のアンダーセン空軍基地は給油、補給の基地として またスペースシャトルの緊急着陸基地としての機能を持ち続けて 時たま コープノースなどの日米統合演習なども行われてきた為 話題にはなっていたが存在感は薄れていた。しかし ニューヨークでのテロ事件以降 北朝鮮 または中国を牽制する戦略拠点として また中東に展開する上での補給基地としても再び注目を浴びるようになり その後 2002年8月に当時の太平洋軍空軍司令官ベガート大将が、グアムを東アジアの戦略拠点として 戦略爆撃機 給油機 新戦闘機の配置を示唆し 基地の機能強化を図る旨発表して以来 俄然日本でも話題になった。最近ではF-22ラプターの配備すら公式に報道され 特に中国 朝鮮半島における戦略上 この基地の重要性は高まるものと見られる。そんな アンダーセンAFBを訪れて見た。
グアム島は、日本から南に下って2000Km 飛行時間で約3時間少々でたどり着く小島である。昔からグアム旅行と言えばハワイに並ぶアイランド・リゾートとして日本人が多いところと知っていたので 予想はしていたが リゾート地域は「ここは日本か?」と思うほど日本人ばかりであった。沖縄にきたみたいである。地元のチャモロ人も日本語ペラペラ、まったく外国に来た気がしなかったが、南に車で下るとチャモロ人の村落が多く 英語しか通じない。北に上ると米軍基地が多い為 白人と遭遇する機会が多く すっかり日本人の姿は見えなくなった。アンダーセンは首都アガナから車で30分かからない位置にある。小高い丘陵地となっていてランウェイの片側は 海の方に突き出ている様子は 帰国の機上から確認できた。以前は 年に1度オープンハウスがあったが 最近はランダムのようで 地元の人も最近はあまり基地に入ったことが無いという話であった。特にニューヨークでのテロ事件後は 基地周辺をうろつくだけで職務質問されるなど相当厳しい警戒がとられていると 水着の小売店のおばちゃんまでが話しているほどである。でも2004年9月ここにサンダーバーズが来ることになって 久々のOHは盛り上がることになった。(2004年12月19日 記)
基地東側から見たアンダーセンAFBである。写真.左側にB-52Hの列線が見て取れる。ルイジアナ州バークスデールAFBから来ていた第2爆撃航空団の面々である。右側は、KC-135が見える。写真左手がエプロンの方角で ランウェイは広すぎる為 ゆがんで見えるのだ・・・
Insingnia of 36ABW
アンダーセン空軍基地でタワーに書き込まれたインシグニアを見て どこかで見たような気がしたが 思い出せなかった。36th ABWは、この基地を管轄している航空団であるが、固有の飛行隊を持っているわけではなく この基地を利用して作戦を行う部隊がある場合 基地の機能をフルに活用できるように 常に万全の体制を保つ為の部隊である。後でわかったのだが この36ABWは、1977年に当時ヨーロッパに初めてF-15Aが配備され注目を浴びた西ドイツビットブルグ空軍基地の36TFWであった。36TFWは、東西冷戦の初期からずっとビットブルグをベースに F-84、F-86、F-100、F-105、F-102と新鋭機を使い続け 1969年に当時の新鋭機F-4Eを受領している。この航空団は最大時 5個飛行隊も抱えていたから 嘉手納の18TFW並みであった。この伝統ある航空団も冷戦の終結と共に無くなったかと思いきや しっかりアンダーセンで復活していたのだ。当時”BT”のレターを付けたF-15Aのエンジン空気取り入れ口横に書かれた36TFWのインシグニアは、左のインシグニアがステンシルに収まり上に鷲のマークが入っており 若干異なる。この部隊 1941年にカリブ海防衛を目的に陸軍航空隊に作られた飛行隊で 1944にはP-47を保有してヨーロッパ戦線で戦っているので 古い部隊である。今は固定の航空部隊を持っていないが 意外とF-22などが配備されれば 再び注目される航空団になるかもしれない。
上空から見たアンダーセン空軍基地である。グアムからの帰りの便で 風向きを考え右手の窓側座席を確保し 運良く撮影できた。右の写真を見るとお分かりの通り ランウェイの片側は半島の端に突き出た形で これでは海側からアプローチする機体を撮影するのは厳しい。この周りの森は狩猟ができると地元の人が言っていたので 踏み込むことは可能かもしれないが イノシシと間違われて撃ち殺されたら つまらん人生になってしまう。一昔前は 2本のランウェイの中間にある駐機スポットに ごろごろB-52がいたんでしょうな・・・・・
1944年 2万名の日本軍守備隊が玉砕し アメリカ軍がこの島を奪回してから建設された基地で B-29の発信基地としてテニアンと並ぶ日本本土爆撃の拠点となった。アンダーセンの名は、1945年に殉職したジェームス・R・アンダーセン将軍からつけられている。
総海岸線延長125km ミクロネシア諸島最大の島で 16世紀にマゼランにより発見され 1898年の米西戦争まではスペイン領だった。年間通じて平均気温が28度と言う安定した熱帯海洋性気候 夏の沖縄の気候がT年中楽しめるのだ。時たま 大きな台風が来るが 回数は多くない。
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