B-1B's Page
大学時代 当時のアメリカ大統領 ジミー・カーターの著書が第一外国語の教書に使われていた。選挙戦当時は”カーターWHO?”と言われる位 無名のアトランタ州知事があっという間に大統領になり 今までに無く親しみやすい雰囲気の人だったので これでアメリカも何か大きな変化が起きるのかの期待した時代だった。彼は原子力潜水艦の乗組員であった、この著書は軍役に付く(当時は徴兵制)時の様子が書かれており 興味深く読んだものである。全然 次元の違うところで 私はロックウェル社が開発していたB-1Aの美しさに惚れていたが、カーター大統領は、経費が掛かりすぎるとしてこのB-1計画を1977年見事に白紙に戻してしまった。この時 「潜水艦乗りは、飛行機のことを分かってないね!」などと勝手に腹を立てていたが 今のB-2は、確かカーター時代に構想が持ち上がった爆撃機と記憶している。一体どっちが金の掛かる飛行機だ・・・その後イラン革命で イランとの関係が急速に悪化 テヘランのアメリカ大使館が占拠され人質が長い間拘束された。アフガニスタンへのソ連の侵攻もあって アメリカはすっかり面子をつぶされ カーター氏は、1期で大統領を降りることになった。ひ弱い大統領との印象をぬぐえ切れなかったのだ。次に大統領になったレーガン大統領は、”強いアメリカ”を目指し1981から1989年までふんだんに軍事予算を計上し 海軍などは軍艦600隻構想をぶち上げていた。こんな中で改装されたB-1Bは、100機を限定で生産がされることになり 写真の撮れる飛行機ではなかったのに 大喜びしたものである。何せB-52より搭載量の多いと言うところから驚きであるが このスマートな機体に大きな可変翼をつけて戦闘機並みの機動力を持つと言うところがすごい!今でもシャッターチャンスは少ないが この機体を少しずつ紹介していきたい。 
Wings
”B-1”と”Bone”骨ともじったノーズアート、海賊旗に見立てた髑髏のパイロットとクロスボーン・・私の一番好きなノーズアトである。
ロックウェルインターナショナル社とは、当時あまり聞きなれない社名だったが、ノースアメリカン社の流れを汲む会社であり ノースアメリカンと言えば知らない人はいない。往年のP-51ムスタング、B-25爆撃機、快速X-15、T-6テキサン(まだまだ元気である)、RA-5 ビジランティ、F-86セイバー、F-100等等数えれば切の無い名機を生んでいる老舗である。最近までは スペースシャトルのNASAの主契約先として設計から打ち上げの手配まで担当していたが 宇宙部門をボーイング社に売却したので 航空関係者にはあまり目立たない存在になってしまった。
 この会社がB-1を開発するにあたって忘れることができないのが XB-70バルキリーの存在であろう。全長185ftと言うから60メートル近い巨大な機体に 馬鹿でかいエンジンを翼の下に6基も並べた巨鳥であった。何処に爆弾積むの??と頭を傾げるような形態をしていたが マッハ3.3で航空をブッ飛びソビエト連邦に核爆弾を落とす予定で莫大な経費を使って開発されたものの 結局「ICBMの時代にナンセンスなんじゃないの・・」と言うことで ご破算になってしまったのだ。(墜落で殉職したクロス少佐が哀れである) それでも爆撃機にこだわるSAC(戦略空軍)の執念で 今度は高高度ではなく”地べたを這いずる様に飛び回る爆撃機を開発したいとの事からB-1計画はスタートした。
カンサス州空軍に配属されていたB-1B。B-1Bは、戦略空軍の代表格としてSACの基地に配備されていたが 冷戦後の空軍再編成でSAC TACなどが大きく組織を変えた際 ACCだけでなくANGにも配備された。1つはジョージア州ロビンス空軍基地(Robins AFB)の128BS、もう1つが上の写真のカンサス州マッコウネル空軍基地(McConnell AFB)の127BSである。現在は再び爆撃機の統合運用によりACC傘下の部隊に統合され消滅したが ANGに新鋭爆撃機配備とは 一昔では考えられない構想であった。これもB-1Bによる通常爆撃(戦術爆撃)を重視した結果であろう。
エンジン空気取り入れ口にシャークマウスが書かれている。
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グランドフォークス空軍基地をベースにしていた 第319爆撃航空団所属のB-1B。1986〜1987年に駆けてB-52からB-1Bに更新したものであるが 1994年5月26日に最後のB-1Bがこの基地を離れ 航空団は、KC-135を主力とする第319給油航空団に変わった。
Insignia of 319th BW