B-52's Page
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93rd BW . 59-2572
(1991)
B-52Gの全景を撮った写真。横田オープンハウスのこの人の多い中、粘ってこの写真を撮ったフニュフニュ君。あんたはエライ!!
(1991)
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(1991)
(1991)
(1991)
(1991)
1991年三沢基地OHに展示された第93爆撃航空団(93rd BW)のB-52G、彼らはこれで3度目の国内OH参加となった。三沢でも始めてのB-52展示とあって1日中人だかりが絶えず、またもや機体全景を撮ることが出来なかった。彼らも湾岸戦争に出撃していたらしく、横田に展示された59-2572と同様、出撃マークを機首側面に書き込んでおり、同時に展示されたKC-135Rは、機首に駱駝のマークで給油回数を書き込んでいた。各パイロットの表情は戦地から無事帰った安堵感で溢れ、任務を遂行した誇りを胸にしていたように思えた。
 湾岸戦争では、この第93爆撃航空団を含み多数の航空団からB-52が参加している。戦時編成として臨時に4300/801/806混成航空団なる組織が作られ、ディエゴ・ガルシア/サウジアラビア/スペイン/イギリスなどの基地からイラク/クエートに向け出撃したと言われる。文献によると93rd BWは、英国のフェアフォードをベースに806th BWの傘下で任務をこなしていたようだ。湾岸戦争では開戦前に、B-52の三分の一が失われるだろうとの予測もあったが、戦争43日間での損失は被弾して海上に着水した1機のみであった。
再び1991年9月1日横田基地の航空祭に展示されたのは、前回1990年と同じ第93爆撃航空団(93rd BW)所属のB-52Gだった。彼らは湾岸戦争に参加し、出撃マークを機首に書き込んでいた。湾岸戦争では、F-117やレーザー誘導爆弾等ハイテク兵器が話題の中心になり、マスコミの報道ではB-52の活動が殆ど触れられなかった。これはアメリカ軍が戦闘機部隊の布陣については詳細を発表したものの、安全を考えてB-52と給油機の部隊編成については一切公表しなかった為でもあった。作戦当初、ベトナム戦時代の遺物であるB-52は、優秀なイラクの防空システムで多数の被害を被ると軍事専門家などが指摘していた関係もあると思う。しかし、砂漠に布陣したイラク軍陣地に対し、圧倒的数量の爆弾を使った絨毯爆撃によるイラク側への心理的効果は計り知れないものが有ったとされる。しかもB-52の被害はほぼ”0”に等しかった。 
1990年8月から1991年5月にかけ デザート・ストームとデザート・シールドの両作戦に参加、上の英文のスコードロン・ヒストリーにある通り 1994年の任務終了をもって、第92爆撃航空団は52年間の歴史に幕を閉じ、ACCからAMCに転換しKC-135の給油専門部隊となった。
1993年7月横田基地航空祭にB-52Hが登場した。厚木に引き続き、H型としては2度目の展示となったが、第92爆撃航空団(92th BW)のB-52は初めてのお目見えである。テール・レターの”FC”はワシントン州フェアチャイルド空軍基地を示しており、1992年6月のアメリカ空軍大変革での組織替えで航空戦闘軍団”ACC”の所属に変わってから記入されているものだ。機首には ACCのマークも入っており、VMAQ-4と同様、ワシントン州シアトルの地元フットボールチーム”シアトル・シーホークス”の海鷹の頭も書かれていた。久々にマーキングで楽しめる機体だった。生憎朝からシトシトと降る雨で来場者も少なく、航空祭そのものは地味な感じで終わったが、私にとってはB-52Hの全景が撮れたことで満足な1日となった。
92th BW . 61-0036
シリアル・ナンバーの下に書き込まれた出撃回数を示すと思われる”爆弾”のマーク。少し掠れており見辛いが12個ある。1つは赤で色付けされており、何か任務の違いを示すものとされる。詳細は不明。
93th BW . 58-0233
(1991)
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(1991)
パイロットがつけていた各種のパッチ。左から第328爆撃中隊、B-52の乗員である事を誇示するパッチ(”SOME ONE OVER 30”は、30回以上の出撃をした機体があることを示すのか?)、そして デザート・ストーム参加を記念するパッチと思われる。
Wings
On September 1, 1991, under Air Force reorganization the 92nd Bombardment Wing (Heavy) was redesignated the 92nd Wing, emphasizing it's dual bombing and refueling.  In June 1992 the wing became part of the newly formed Air Combat Command and was redesignaterred to other units and flown to other bases with the last bomber leaving May 25, 1994. The bomber mission of the 92nd had ended after 52 years, giving over to the new refueling mission on July 1, 1994.  On July 1, 1994, the 92nd Bomb Wing was redesignated the 92nd Air Refueling Wing, and Fairchild AFB was transferred from Air Combat Command (ACC) to Air Mobility Command (AMC).
Wings
Wings
(1991)