C-5 ギャラクシーは、国内の航空祭では、胴体が大きすぎて全景を撮ることができない。無理に撮れば ギャラリーがたくさん入った写真となってしまう。そこで 私のコレクションも アメリカ本国か 嘉手納に依頼した外来のC-5が中心になるが 部隊の変遷も1990年以降 大きく変わっており 体系的にご紹介できるほどの数も撮っていないし 機体の並べ方も規則的ではないが デジタル化した写真から 適宜ご紹介していこう。
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C-5 Galaxy
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Wings
まずは、2002年10月 オシアナに展示された 予備役軍団のC-5A。マサセッツ州のウェストオーバー予備役空軍基地所属の第439輸送航空団(439th AW)である。1988年までC-130Eを使っていたが 1987年からC-5Aを受領し始めて 現在では主力である。尾翼の赤いラインと「PATRIOT WING」の文字が綺麗である。この部隊は、1990年の湾岸戦争時 イラクのスカッドミサイルの脅威にさらされたイスラエルに パトリオット・ミサイルを輸送する任務を負った歴史を持つ。
尾翼の黄色いラインに書かれているように デラウエア州のドーバー空軍基地のC-5である。第436輸送航空団(436th AW)の所属ではあるが 機首を見ると 「512nd AW」の文字も入っているので アソシエート飛行隊であろう。ドーバーは、1949年から輸送機の一大拠点として有名で C-17も存在する。
さて次にご紹介するのは、輸送機のマザーベースの一つカルフォルニア州トラビス空軍基地の60thAMWの機体。60thAMWは、昔の白ギャラ(白いC-5A 60thMAW時代)からちょくちょく横田に飛来する常連として親しみをもっとも感じる航空団である。空軍で最も大きい輸送航空団の一つであり 以前横田にもいた21st AS(旧名21st TAS)と22nd ASがC-5Bを運用していた。このほか2個飛行隊のKC-10Aなども運用しており組織は巨大である。
60thAMWは、冷戦がはじまった1948年に閉鎖された西ベルリンへの物資輸送業務をするために編成されたと言って過言はない。創設から10年あまり西ドイツからフランスまで本拠地を変えて 現在のトラビスに移動したのは、1966年である。C-5のグレードアップ計画であるM型への改造において 2012年5月9日ここのC-5Bが改造の為にロッキードマリエッタ工場に工場へデリバリーされた。米空軍に2機しか存在せず 後部のカーゴドアが左右に開くC-5C型もここを本拠地にしている。(2011年の横田公開で展示された)
C-5B (84-0060) 60thAMW 22ndAS 青帯。(撮影 2002-5-9)
C-5B (87-0036) 60thAMW 21stAS 黄帯。(撮影 2002-5-9)
青い帯は、22ndAS(第22輸送飛行隊)、黄色い帯は、以前横田にもC-130Eの部隊として駐留していた ”ビーライナース”21stASを表している。今は、白い帯に統一されているようで 尾翼のラインだけで飛行隊の区別ができない。60thAMWは、サポートチームとメディカルチームも含め23000人を擁する大組織であり そのリソースは、20億ドル以上の価値があると専門誌には書いてあった。
トラビス空軍基地は、カルフォルニア州の北部で サクラメントとサンフランシスコの間ぐらいに位置するソラノ群フェアフィールド市と言う場所にあり 1950年代は、戦略空軍SACの基地として B-29〜B-52と言った爆撃機のベースであった。基地名のゆかりも 第9重爆撃機航空団長であった ロバート・トラビス准将(1952年8月にB-29の墜落事故で殉職)の名前から命名されたものである。この地帯は、5月から10月までが乾季にあたりほとんど雨が降らないため 飛行訓練にはうってつけの場所である。
(C-5C)
2014年4月11日 嘉手納に貨物を降ろす60thAWのC-5B(86-0024)。3月に横田にも飛来しており この後尾翼の機番表示は、86024から60024に変更になったようだ。