F-15's Page
中学生の頃 ふと駅前の書店で見かけた”航空FAN”誌、 なけなしの小遣いを叩いて買い始めた。親父がパイロットだった影響で軍用機ににはずっと興味を持ち続けていたが、こうした専門誌から入る海外の話題はえらく刺激となり 大学に入ってバイトをし まず手に入れたのが一眼レフカメラであった。どの米軍基地からも遠いところに住んでいた私は、写真撮影に目覚めるのが晩生であったのだ。近くの自衛隊基地で手慣らしをして 地図を頼りに厚木/横田通いを始めた。横田まで3時間の道のりである。電車賃を考えると貧乏学生には辛い負担だったが、どちらの基地も3回に1回は、「やったー!」と感激できた獲物に当った。下のTF-15Aも、その1機だったが、こう言う機体が撮れた時は帰路の長い電車行もウキウキした気分で帰れた。だが、ぼーずの時は大枚叩いて俺は何しに言ったのだろうかと 重いカメラバックが肩に食い込んで自己嫌悪に陥ったものだった。
 1976年の入間国際航空宇宙ショーに参加するため横田でデモフライトの予行を行っていたTF-15Aは、正に当時の最新鋭で 前述の”航空FAN”の1972年10月号でロールアウトも報じられ F-86以来23年ぶりの制空戦闘機と言われた戦闘機。(1972年が丁度米空軍創設25周年)米空軍でも1974年末に最初の部隊ルークの58TFTWに配属を開始し 海外でもファンボロ−等の大きなショーに出る程度だったので 私の感激の度合いもご想像できると思う。当日の2回のフライトは、それは刺激的なもので平日の横田基地が一時華やいだショー会場の様相を呈した。おまけに横田ドライブインの前を転がってくれたパイロットに 今でも感謝している。 
航空自衛隊は、F-104の後継機種として次期FXの第1次調査を1975年に開始している。まだF-4EJ自体も301SQと302SQに配備されたばかりの時であったが、こうした将来の有力なマーケットに対して マグダネル・ダグラス社は、この入間の航空ショーを売り込みの大きなチャンスととらえていた。YF-16/YF-17もロールアウトしていたが、当時からT-15は、運動性その他格段の迎撃能力と米空軍の次期主力機ということもあり FXの最も有力な候補だった。
TF-15A/71-0291
このTF-15A(71-0291)は、マグダネル・ダグラス社が試作した20機のテスト用機の1機。左側面 コクピット下にF-15導入見込み国の国旗を並べ 尾翼には建国200周年のマーク”American Revolution Bicentennial 1976”を描いていた。その後、この尾翼には、地球儀と詳細な本機の訪問記録が描かれるようになった。
58TFTW ⇒ 405TTW 
新鋭のF-15がまず配備されたのが、アリゾナ州のルーク空軍基地であった。ここでは、461TFTS,/550TFTS,/555TFTSの3つの訓練飛行隊がF-15を運用し 最初のF-15(73-0108)は、1974年の4月1日付けで555TFTSに配備された。当時のフォード大統領より この機体は”TAC-1”と命名されたのは、有名な話である。後に58TFWは、1979年に創設された405TTWにF-15を移管し F-16の訓練部隊に変わっている。405TTW傘下のTFSは、従来どうりで 1987年8月1日に461TFSがF-15Eを受領し 他の2飛行隊も順次 F-15Eの転換訓練飛行隊となって 現在にいたる。
49TFW
ニューメキシコ州ホロマン空軍基地所属のF-15A。49TFWは、1977年にF-4EよりF-15に転換した部隊で、確か1TFW、36TFWに次 3番目のF-15の実戦部隊だったと思う。F-15A/Bの配備を受けた最後のTFWとなったもので この後に配備を受けたエグリンの33TFWからF-15C/Dが戦列に加わるようになった。
49TFWには、7FS/8FS/9FSと続き番号の3つの戦術戦闘飛行隊が、存在した。この部隊もどの飛行隊か見分けるのは、尾翼上部のラインのデザインだけで、インシグニアは機体の左右共に49TFWのものをつけていた。私は、赤いの(9th TFS)しか撮っていないが、この他に黄/白黒のチェックがいたと思う。

 Holloman”HO”には、この部隊のほかに、T-38を使用した497TTWも存在し ブルー系の綺麗な迷彩を施して美しかったのでよく雑誌にも登場した。
F-15A/77-0067
F-15A/77-0098
F-15A/77-0065
F-15A/77-0063
F-15A/77-0148
Hollomans Eagle 9th TFS "The Ilon Knights"
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ホロマン空軍基地は、ニューメキシコ州のメキシコまでの国境まで100qと言う地点にある。(行ったことはない)敷地面積 97,877エーカーと言う広大な面積を持つと言う。ホワイトサンズミサイル射爆場など実験場も近くに有り、ホロマンという名は、誘導ミサイルのパイオニア、ジョージ・V・ホロマン大佐に因んだもの。
渡辺 明さん提供のルーク空軍基地におけるF-15Aの雄姿、1975年撮影のもので ルークにF-15が配備されて間もない頃のものである。機体のテールレターは、配備当初 このように白で書かれていた。バックには多数のF-104Gがラインナップされている。
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The 7th Tactical Fighter Squadron was stationed at Holloman AFB, New Mexico.The squadron converted from F-4E to F-15A/B's in 1977. The 9th TFS was a training squadron with the 49 TFW (one of the three USAF F-15 training Wing's in the 1980's). The 9th TFS was one of the last units to operate the "old" version of the F-15A/B's. The squadron transitioned to the F-117A's in 1991-1992.

ルークは、マニアの間でもランディングが標準レンズでも撮れる数少ない空軍基地にひとつとして有名であった。実際行ってみるとタキシングも車輪が少し欠けるが撮ることができた。当時 ルークのF-15は、訓練部隊であるからB型が比較的多く 当時はテールナンバーが4桁と言う珍しいものであった。
この時私とルークを訪れた友人は、数年後再びルークを再訪し この場所で50oレンズでF-104の撮影にトライして成功している。写真撮影では、かなり腕の良い友人だが、50oでの撮影ができるルーク基地ならではの環境は素晴らしい。ちなみに私の作品は、全て200oレンズである。
訓練が始まるとすごい数の戦闘機がランウェイに繰り出してきた。写真のタキシング中のF-15Bは、第461戦術戦闘訓練飛行隊所属である。後ろに見えるF-4ファントムは、C型で”FW”のレターを付けたインディアナ州空軍の機体であった。
尾翼のチップラインが黒で五つの星が入っている機体は、ルークで最初にF-15A/Bを受領した第555戦術戦闘訓練飛行隊で 所謂トリプルニッケルと呼ばれていた大戦中から活躍した有名な部隊。当時 ルーク空軍基地のF15A/Bには、スコードロンマークが無くチップラインが唯一の識別だった。
エマージェンシーだったのかフックを降ろしての着陸であるが、この部隊は、左側のコックピット下に緑黄のアローを描いており最後に創設された第550戦術戦闘訓練飛行隊所属と思われる。
550th TFTSのF-15B。ルークでは3番目にF-15を受領した飛行隊であるが、1977年8月25日、この日を持って3個の戦術戦闘訓練飛行隊が揃いイーグルドライバーがここで次々に増殖していった、1989年には、F-15Eに機種交換し 同じくルークで461TFTSと共にストライクイーグルのパイロット養成を担当した。ちなみに4番目のF-15訓練飛行隊は、1981年にF-4CからF-15に転換した426th TFTSである。