F-15's Page
航空自衛隊は、F-104の後継機種として次期FXの第1次調査を1975年に開始している。まだF-4EJ自体も301SQと302SQに配備されたばかりの時であったが、こうした将来の有力なマーケットに対して マグダネル・ダグラス社は、F-X選定作業ですでにF-15がほぼ確定と言うところまで来ていたが、この入間の航空ショーを最後の売込みの仕上げととらえていた。YF-16/YF-17もロールアウトしていたが、当時からT-15は、運動性その他格段の迎撃能力と米空軍の次期主力機ということもあり FXの最も有力な候補だった。
中学生の頃,ふと通学路の駅前書店で見かけた”航空FAN”誌、最新の飛行機情報に魅了され、なけなしの小遣いを叩いて買い始めた。親父がパイロットだった影響で軍用機にはずっと興味をもっていたが、こうした航空専門誌から入る海外の話題はえらく刺激となり大学に入ってバイトをして、まず手に入れたのが一眼レフカメラであった。どの米軍基地からも遠いところに住んでいた私は、写真撮影に目覚めるのが晩生であったのだ。近くの自衛隊基地で手慣らしをして、地図を頼りに厚木/横田通いを始めた。当時我家からは横田まで3時間の道のりである。往復の電車賃を考えると貧乏学生には辛い負担だったが、厚木基地や横田基地への遠征で3回に1度は、「やったー!」と感激に浸れた被写体に遭遇した。1976年秋口、横田基地で遭遇したTF-15Aも、初めてみる新鋭機に感動し、こう言う機体が撮れた時は帰路の長い電車行もウキウキした気分に浸れた。しかし毎回こうはいかない、何も撮れない坊主の時は大枚叩いて俺は何しに行ったのだろうかと 重いカメラバックが肩に食い込んで自己嫌悪に陥ったものだった。

 1976年の入間国際航空宇宙ショーに参加するため横田でデモフライトの予行を行っていたTF-15Aは、正に当時の最新鋭で 前述の”航空FAN”の1972年10月号でロールアウトも報じられ、F-86以来23年ぶりの制空戦闘機と呼び声も高かった戦闘機。(1972年が丁度米空軍創設25周年)。米空軍でも1974年末に最初の部隊ルークの58TFTWに配属を開始し 海外でもファンボロ−等の大きなショーに出る程度だったので、横田基地でデモ飛行の訓練に遭遇した私の感激の度合いもご想像できると思う。当日の2回のフライトは、それは刺激的なもので平日の横田基地が一時華やいだショー会場の様相を呈した。おまけに横田ドライブインの前を転がってくれたパイロットに 今でも感謝している。 
TF-15A/71-0291

↑ 入間国際航空宇宙ショーに参加する前に横田基地をベースにフライト訓練を行ったTF-15A(71-0291)。TF-15Aの2号機に当たる。

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このTF-15A(71-0291)は、マグダネル・ダグラス社が試作した20機のテスト用機の1機。左側面 コクピット下にF-15導入見込み国の国旗を並べ 尾翼には建国200周年のマーク”American Revolution Bicentennial 1976”を描いていた。その後、この尾翼には、地球儀と詳細な本機の訪問記録が描かれるようになった。
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