Wings
F-16's Page
-V
流石に米空軍の実質的主力戦闘機で 現役バリバリとくれば当然ページ数も F-4ファントム以上になりそうであるが、Page-V以降は、ランダムに F-16の部隊を紹介していきたい。この機体のニックネームが”ファイティング・ファルコン”であることは、ご存知の通りであるが 一時”コンドル”と命名されたことがある。この小さな機体に あの頭の禿げた大きい鳥をイメージすることは ちょっと無理がある。やはり 多くの反対もあったのだろうが 名称は換えられた。”ファイティング”が付いているのは、確か当時有名なフランス製のビジネスジェット ファルコンが存在したからだと記憶している。
20th FW
ショー空軍基地(Shaw AFB)を拠点とする第20戦闘航空団のF-16C
Page-Uで ご紹介したとおり 1985年にショー空軍基地には F-16の第363戦術戦闘航空団’363TFW)が設立されたが 実は今いるF-16部隊、レターは、同じ”SW”であるが 部隊が完全に入れ替わっていた。単純に言えば名称変更したともいえるのだが 363TFWではなく 以前イギリスのアッパー・ヘイウッド空軍基地に所在し F-111Eを使っていた第20戦闘航空団とその傘下の3個飛行隊なのである。1993年12月アッパー・ヘイウッドが 閉鎖され 同時期にこの部隊が 363TFWに変わった訳である。なんとも ややこしい・・
 ちなみに1993年11月 363TFW時代”SW”のレターを付けた17th FSのF-16C Block40が コープノース94で三沢千歳に展開したことがある。
2005年末時点でのShaw AFBのF-16C/D部隊は、以下の通り

第20戦闘航空団 (20FW) 
   第55戦闘飛行隊 (55FS) ”Fighting Fifty Fifth” 
   第75戦闘飛行隊 (75FS) ”Gamblers”
   第79戦闘飛行隊 (79FS) ”Tighters”
(SW-542)
(SW-540)
(SW-385)
(SW-003)
(SW-048)
(SW-111)
2003年以降 新しく採用された空軍のインシグニアが 従来のACCのマークに変わって尾翼に入れられるようになったが、特にデモフライトを担当するF-15の1FWやこの20FWの機体は、率先して遂行されたようである。また”Let’s Roll”のマークも各飛行隊に1機づつは、書かれるようになり FWの司令官機も含めれば 20FWには少なくとも4機の”Let’s Roll”が存在する。
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27th FW
ニューメキシコ州キャノン空軍基地(Cannon AFB)は、あのF-111の最後のホームベースとなった基地である。F-111が引退する時 基地閉鎖の方向で進められたが 最盛期5個飛行隊もあった航空団が丸ごと消え去ってしまうと町自体が衰退すると恐れた地域住民の嘆願で F-16C/Dの部隊に転換され存続となった珍しい経緯を持つ。TACの司令官だったジョン・K・キャノン将軍に因んでつけられた空軍基地は、1920年代に民間空港として作られ 1943年から空軍基地として使われ始めたもので 13.4平方キロと言う広大な面積を持つ大きな基地である。近くにはホワイトサンズのミサイル実験場を含めた大きな演習エリアをもつ。2006年6月にはF-16部隊の解散と 第16特殊作戦航空団(16th SOW)の移駐が決まり この基地はCV-22 AC-130などのベースに変わる。地元 カレー群クロービスの住民達は基地閉鎖の回避と新部隊の配備を再び歓迎しているようだ。第27戦闘航空団は、第27特殊作戦航空団(27th SOW)に名前を変えて存続する。(Nov.2007)
F-111の引退に伴い1995年5月からF-16C/DのBlock30と40(後に50に更新)を受領し始めた第27戦闘航空団(27th FW)は、1998年にシンガポール空軍パイロットのインストラクチャー飛行隊を含め4個飛行隊を完結させた。上写真の第522戦闘機中隊(522nd FS)が最初にF-16を受領した飛行隊である。27th FW自体は、1940年にルイジアナ州バークスディール基地で爆撃航空団として創設された部隊で 後にフィリピン方面に配置され 日本軍の侵攻で敗退 多くの捕虜を出したが 有名な”バターン死の行進”で多くが犠牲になったとされる。その後 P-40やP-47と言った戦闘機を受領してヨーロッパ戦線のイタリー、フランスで活躍 第2次大戦後は、朝鮮戦争 ベトナム戦にも投入された。1959年からキャノン空軍基地をベースとして活動している。27th FWの組織変更によりF-16Cを手放すことになった522nd FSは、2007年7月11日のグアム島アンダーセン空軍基地への派遣を最後に機体を手放すことになった。
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