2017年6月4日 横田基地から離陸するF-16C ”HL-072” この時点はこの機体 オーサンの51FWの所属であったが ヒルAFBから移動して間もない為かマーキングは、完璧な388thFW/4thFSのものである。この時 確認されたOS-432(88-0432)もヒルから移動したばかりの機体であった。この時かくノンされた

F-16's Page
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今でこそ 全盛期のファントムほどではないが 空軍ではどこにでも居るメジャーな戦闘機になってしまった。1970年代の初め頃F-15が、開発された頃 こんな高い戦闘機では数が揃わないと焦った空軍が 廉めの軽戦闘機を採用しようとしたところに始まる。YF-17コブラ(FA-18ホーネットの前身)と競合する空軍の時期軽戦闘機候補として華々しくデビューしたYF-16は、スマートだが綺麗過ぎて迫力の無い機体に思えた。当時は、ゼネラル・ダイナミックスなんてあまり聞いたことの無い会社だと思ったが、元はコンベアと言う有名な会社の血を引くメーカーである。私は、この華奢に思えるYF-16より”コブラ”の名を冠したYF-17のほうが好きだった。今でもFA-18は、コブラのほうがそのボディに相応しいと考える1人だ。でも 最新の技術を駆使したXF-16が採用になり その後F-15以上に空軍を席巻する存在になった。
 1976年の入間の航空宇宙ショーにF-15,F-14が参加 私も買ったばかりの大砲のようなシグマの400mmを持って出かけた。何せ写真始めたばかりのど素人! 飛行機撮るのに50mmの標準となんと400mmを買って2本でやり繰りしていたのだ。この後 すぐこの間違いに気がついた私は、Zoomを購入 それも間違えと気づき 200mmの短焦点レンズを買うまでずいぶん失敗を繰り返した。話は長くなったが、400mmなんて当時 相当目立つ長玉だった為(価格は安かったが) よくプロカメラマンと間違えられ 入間でも「あの・・・・F-16は今回参加しないんですか??」との質問を何回も受けた。XF-16は、A型の実用型の完成は近かったが まだ実験段階であったから いくら航空自衛隊のFX選定を控えているとはいえ 極東の入間なんかに持ってくる程 リスクを持てなかったのだ。因みに 量産型F-16Aの初飛行は、1976年この年の12月8日である。それから4年後の1980年3月、私は友人とF-16Aが最初に配備されて間もないユタ州のヒル空軍基地を訪れる事になる・・とは想像もしていなかった。(よく聞くフレーズだな・・・これ!)
1979年の秋だっただろうか 友人からの電話で「申請したら思わず許可取れちゃった!・・・」と友人曰く。基地に入れてくれるならと行くことに決めたが、最初は全然興味がなかったF-16のマザーベース ヒル空軍基地(Hill AFB)である。これから じゃかじゃか撮れる飛行機より無くなって行く飛行機のほうが貴重だ、なんて言っても いざF-16をこの目で見れるとなると興奮である。

 1980年3月 許可をもらっていた日の前日に到着した我々は、オグデンに宿を撮り 偵察のため基地を見に行った。大きな崖が目の前にふさがり どうもこれを上らないと撮れそうも無い・・考えた挙げ句 渋る友人を説得して上ることにした。眺めはえ〜ぞ!!といってるうちにF-105が数機降り 興奮冷めやらぬうちに来た!来た!F-16である。まったく最新鋭の機体をこんな辺ぴなとこまで来て物にしたぞ・・なんて 自分を誇れる気持ちになった。次から次に降りていくF-16は、国籍マークがアメリカだけでなくオランダのものもあった。夕方 ホテルに戻ってテレビをつけると Hill AFBでは なんと「レッド・マックス・アルファ」という3日間に渡る大規模な訓練を展開中だとの事。うむ・・・・こんなんで明日ほんとに入れてくれるの??心配と機体が錯綜して 翌日我々はゲートに向かった。
 翌日 ゲートでPAOに連絡、基地内の地図をもらって 388TFWの司令部に行けとの指示。司令部に入ると 何か神経をぴりぴりさせた若い士官が「本日は訓練である、君たちは指示に従って行動してくれ」とやたら厳しい態度 英語が苦手な私でも感覚的に歓迎されざる客であることを感じたものだ。たぶん訓練で余裕もなかったのだろう。我々は案内係りの人のよさそうなオジサンに連れられてエプロンに出た。
Insignia of 388TFW
HILL AFBは、その間の通り 小高い大地の上にある。日本で言えば新田原基地 八戸基地 台湾で言えばCCKに似たような地形。着陸が撮れるポイントまでは 崖を上って行かねばならない。しかし上りきると左写真のようにオグデンの静かな町並みが望める。初めて目にしたF-16Aは、写真のように間隔をあけたフォーメーションで帰って来た。ファントムを見慣れた目には、F-16のシルエットは小柄ながら羽を広げた鳥のごとく美しく写った。
388TFW
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どんよりと曇った空・・・昨日は綺麗に見えたワサッチ山脈もすっかり雲に隠れていた。エプロンにつくと 流石に演習中とあって なんだか緊張感がある。エスコートのおじさんは、我々をF-16列線の1つに連れて行き 「ここも線さえ出なければ自由に撮っていいよ」とのたまった。但し 広いエプロンの一角である。少し不満はあったものの 出来るだけ撮って帰ろう!!と撮影を始めて気がついた。カナダ防空軍、ネリスのF-5、それにNANYからプラウラーまで参加してエプロンはいっぱいである。また 別に目をやると 「HL」のレターを落としたばかりのF-4Dや イスラエルの塗装をしたF-16Bなどが置いてあり 中々興味深い。隣の列線ではF-16Aが、爆装していた。我々は、エスコートのおじさんを気遣って早々に退散することにしたが、「外から撮っていいよ」との許可をもらい 午後は基地の外から撮影して 翌日オグデンを後にした。ここオグデンのホテルに 私が初めて買った400mmレンズを忘れてきたのである。F-16と400mmレンズの因縁もここで終了となった。
388TFW司令官機のF-16A(78-0012)、最初に生産が始まった1978年の12号機、流石に機番が若い。また 当時F-16は初期生産の物は、「鼻黒」であった。
388TFWは、アメリカ空軍最初のF-16A/Bの運用航空団である。1979年1月6日からF-16の運用を開始し それまで使っていたF-4Dは、1979年末にはどう航空団からすべて引退した。我々が行ったときには「HL」のレターを落としたF-4Dが数機いただけである。同航空団は、1978年生産された初期ロット43機を受け取っていたが、この43機のうち22機までがF-16B(78-0077〜78-0098)で 転換訓練を主たる任務としていた。また F16Aの採用を決定したNATO4カ国(ベルギー、オランダ、ノルウェー、デンマーク)とイスラエルのパイロットの訓練もこの基地で引き受けていた。
ここの写真のF-16は、すべて1978会計年度発注の初期ロットで レダードームが黒である。空戦訓練時 この鼻の黒いF-16はよく目立ったようで 次のブロック5からはグレーのレードームが採用された。我々が訪問する数カ月前にF-16A(78-0006)は、エンジントラブルで落ちていて 006は欠番であった。
F-16A/388TFW
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Insignia of 4th TFS
Insignia of 16th TFS
Insignia of 34th TFS
388TFWで まず思い出すのは、”JJ””JV"のテールレターを付けベトナム上空を飛ぶF-4Eである。私の世代では、シャーク・ティースをつけて実戦で活躍するF-4Eの姿は、まさに脳裏について離れないほど魅力的であり 後に51TFWや3TFWで復活したシャーク・ティースは、まさに388TFWの郷愁であるようにも思えたものだ。388TFWは、当初F-105を装備し ベトナム戦に投入されたが、後にF-4Eの供給を受け北ベトナムおよびラオスを中心に激しい戦闘を経験した部隊である。ベトナム戦後は、再び旧型のF-4Dに戻され HILLを根拠地とすることになるが、F-16Aが配備された際の3飛行隊の中で 34TFS「ラムズ」は、まさに”JJ"のレターを付けたF-4時代から388TFWの傘下にあった古参部隊である。

4TFSは、F-86F-102を装備して 過去三沢に駐留していたことがある飛行隊で「風神」の部隊マークはこの時からの由来でらしい。ベトナム戦では1969年からダナンでLAのレターをつけたF-4Eは、記憶にある。16TFTS(青ライン)は、元々F-102を装備して那覇にいた部隊であったが解体されていた。HILL AFBにおいてF-16での復活である。
Squadron of 388TFW
爆装するF-16の列線。尾翼のフィンチップがチェッカーなのは、Det・MOTEMultirole Operation Test and Evaluation)という特殊な任務を受けた分遣隊に所属する機体で ネリス基地に6機を派遣してレッドフラッグ演習に参加していたもの
ランディングする34TFTSのF-16A。よく見るとインテークにSQのインシグニアが入っている。いまでは、SQインシグニアを左側面に書き込むのは常識となっているが、当時は非常に珍しかった。HillのF-16の中にも書き込まれた機体は、僅かだったように記憶する。
Tail Marking Collections
ヒル空軍基地のエプロンで見かけたイスラエル向けのF-16B
(F-16A/B at Hill AFB in Mar.1980)