F-5E's   Page
Part-U
1972年にネリス空軍基地に創設された第64戦闘機兵器中隊(64th FWS)が、米空軍最初のアグレッサー飛行隊である。後にもう1つのアグレッサー飛行隊第65戦闘機兵器中隊が創設され この2つの飛行隊で 第57戦闘機兵器航空団(57FWW)が構成された。1980年以降 日本のマスコミでも米空軍のアグレッサー部隊が取り上げられるようになり テレビでも時折報道されるようになったが それは彼らがアメリカ空軍に属していながら まるで当時のソ連空軍のような出で立ちで構えていたからである。航空団指令のデスクの背中の壁には 大きなソ連国旗が掲げられ オフィスの各所に赤い星が飾ってあった。実にアメリカらしいが 最大の仮想敵国であった当時のソ連の空軍部隊になりきって訓練にあたると言う意気込みを示したものである。
 彼らの訓練は、意気込みだけではない、装備するT-38〜F-5Eと言った機体は、Mig-21に近い小型の機体で 当時のF-4ファントムのような目立つ排気スモークも出さない。このF-5EをMig-21などに見立て 戦術思想も取り込んでの訓練である。実に徹底したやり方で合理的といえるだろう、ベトナム戦で空対空ミサイルに頼りすぎて 空中戦の技量を軽視していたがために 多くの失敗と犠牲を出した教訓をすぐ生かして対応するところがアメリカ軍のすごいところである。思えば日本軍は、太平洋戦争中 米軍の物量に圧倒されただけでなく 空母、レーダー、近接信管の事例を出すまでも無く 僅かな失敗をも教訓としてすぐ合理的対策を講じるアメリカ軍の力量にも負けたわけである。
(74-1569)
(73-1636)
(73-0865)
(74-01564)
リザード(トカゲ)迷彩と呼ばれた塗装で 嘉手納の26ASSには、同じリザード迷彩の機首番”61””62”の2機が配備されていた、生産番号が近いものは 数機ずつ同一迷彩で仕上げたようだった。
ネリス空軍基地の外を走る国道から撮影した57th FWWのF-5E、ファントムに比べ相当小柄な機体であることがお分かりになると思うが ファントムのような大型の機体が多い米空軍では、小型のMigを前方に捕らえた時の距離感が取れず 撃ちもらすケースが多かったらしいので F-5Eは、対戦相手としても手ごろな大きさである。 後ろには、474th TFWのF-4Dがいる。1980年3月の撮影だが この年の11月には 474thTFWは、最初の2機のF-16A.が配備され 翌年末にはネリスからはF-4Dの姿が消えた。
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当時 珍しいかったのが 機種のモデックスナンバーが3桁のミディアム・グレーンとタンの2色迷彩パターンの機体。パンムキン・スキームと呼ばれる迷彩パターンで 1980年2月頃から登場したタイプである。パンプキン(かぼちゃ)と名付けられたのは、かぼちゃの皮と実の色の組み合わせに似ているからである。この迷彩は、当時のワルシャワ条約軍のMig-21迷彩パターンを模していると言われる。少なくとも 4機程がこの迷彩パターンを採用していた。(73-0846、73-0847、73-0865、73-0866)
下の2機は、南ベトナム空軍の迷彩パターンを施したタイプで インテークの横に国籍マークが入っているのが 大きな違いである。南ベトナム空軍には 多くのF-5Eが供与され ベトコンの制圧など地上攻撃を主に使われた。ベトナム戦争終了直前 数十機は、亡命などで近隣のタイなどに逃げたが ほとんどは新制ベトナム政府が接収し そのままの迷彩色でベトナム空軍機として使用されることになった。1980年代に南ベトナム空軍のベトナム迷彩がアグレッサーに登場するのも 当時まだ仮想敵国であったベトナム軍を想定したものと推定する。
下は、白黒フィルムの為色合いが分からないが ブルーの2色迷彩で オリジナルブルー・スキームと言われたタイプである。アグレッサー機の迷彩には、当初のパッチーズを初め 様々なパターンのブルー系迷彩が施されたが その種類が多かった為 名称も オリジナルブルー・ニューブルー・オールドブルー・グレープなど固有の識別名称が与えられていた。
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1980年 ユタ州ヒル空軍基地において カナダ空軍、アメリカ海軍も参加した大きな演習「Red・Max・Alfa」に飛来していたF-5E。バックには カナダの黒いフリーダムファイターCF-5が並んでいる。
(73-1635)