RC-135
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1983910325 サハリン上空で大韓航空007便がソ連防空軍のSu-15フラゴンに撃墜され 乗客乗員269人が死亡した事件があった。この事件の原因は、様々な説があり 慣性航法装置の入力ミスなどが上げられたが 当のソ連は、大韓航空のB-747を完全にスパイ機と思い込んで撃墜していた。同じ頃に 米軍のRC-135が付近を平行して飛行していたと言われ 領空ギリギリに電波収集していた米軍のRC-135をうるさく感じていたのは 確かのようである。だから ソ連としては、民間機か米軍機かなどはどうでもよく 未確認飛行物体が 領空に進入すれば直ちに撃墜と言うシナリオ立てていたのである。この逸話を耳にしたとき冷戦中のRC-135の役割がクローズアップされた。

1977年〜1979年頃RC-135T コブラ・ジョウズとかリベット・ダンディとかの愛称があるのだが その当時は、航空機に詳しい人以外ほとんどの人が知らなかったはずだ。嘉手納でよくお目にかかる機体であったが、機体上面を白くお化粧したRC-135Mと比較し 無塗装のジュラルミン色のままで背中に多くのアンテナを付けていたので 少し不気味なイメージがあった。55-3121は、1957年の初飛行と言うから その当時でも相当に20年以上のベテラン選手だったわけだ。この機体 1983225日にアラスカのヴァルディス空港に着陸に向かう途中 付近の山に激突して乗員3名が死亡している。どうも 当日の天気は悪かったようで 前方にすでに着陸態勢に入っているカナダ航空機がいたため 上空で待機して迂回飛行中の事故らしい。機体の捜索には、SR-71まで駆り出されたそうだが 8月になって漸く機体の残骸が発見されたようである。

RC-135T

今でこそ RC-135S RC-135Uなど マスコミにもよく登場する有名機となったが 本来彼らは、サイレント・ウォリアー(沈黙の戦士)と言われ 情報収集という地味な任務を一目に付かないように淡々と行っていくのが任務であった。RC-135にかかわらず偵察任務を行ってきたこれらの部隊は、冷戦時も含め公表されずに領空またはその付近でソ連機に撃墜されたり 事故で失われた機体と乗員は、多数に上ると見られるが その多くは、公表もされず機密時に処理されたはずである。

RC-135M

RC-135M RivetCard/Quick

1966年〜1967年にC-135B 6機を改造して作られたSIGINT機で、RC-135DRC-135Eと同じくロングノーズレドーム、空中給油リセプタクル 両翼端のピトー管を持っているほか、胴体後部両側面に涙滴型フェアリングが設けられ、空中給油装置のフェアリングもレドームに改修されている。

RC-135Mは従来のSAC用SIGINTプラットフォーム RB-47HBoxTop"の後継機であり、1967年には早くも5SEW所属機として極東に派遣され 横田・嘉手納からSIGINTミッションを開始した1967825日、横田のRB-47H支援部隊、3rd AD Det.1が解隊され、かわって嘉手納の4252SW197041日、376SWに改編)がRC-135Mの偵察活動支援を引き継ぎ、911には嘉手納から初のRC-135Mによる"CombatApple"ミッションが行われたとのこと。

コンバット・アップル ミッションは、M型のほかにRC-135C/Dも加わり、1973年までに3,250ソーティーを実施、トンキン湾・ラオス上空を周回飛行しつつ ELINT作戦に従事したほか、SAM/Mig警報の発信や捜索救難活動の支援なども実施している.これら以外にもRC-135MはヨーロッパでのELINT作戦に用いられたが、1980年からEシステムズ社でRC-135Wへの改修計画がスタートし、1983年までに6機全機が改造された

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