SR-71 Blackbird
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飛行前の点検では、ご覧のように旅客機以上の取り巻きスタッフに囲まれる。しっかり時間をかけて外部のあらゆるチェックポイントを確認したうえでランウェイに入るが、こうした時間は我々航空マニアにとっては至福の時間である。

西山邦夫先生著の「戦略航空偵察」によると1977年頃から北朝鮮の地上戦力が45万から60万を超えるようになり、SR-71の偵察活動が半島中心になってきたそうである。偵察活動は、夜間が中心だったそうだが、空中給油の際にコックピットの計器盤などの光が操縦を邪魔し、その辺の改装も行われたとある。

1978年10月嘉手納でタッチアンドゴーを繰り返すSR-71A(61-7967)、尾翼には、1st SRSを示す”1”の文字が赤で描かれている。200oの単焦点レンズで撮影した嘉手納基地ランウェイ05/Rightの着陸であるが 超望遠レンズを使わずとも背中が見えるということは、如何に戦闘機並みの軽快な切り込み旋回を行っているかがお分かりであろう。それまでGCAでまっすぐ着陸する姿しか見て来なかった私にとって大きな驚きであった。

Buzz Rickson’s

上の写真は、すべて1978年10月の嘉手納R/W05での写真である。午前中小一時間の間に何度もタッチアンドゴーを繰り返すSR-71、それまでワンチャンスの着陸シーンしか撮れる機会がなかったが ずいぶん贅沢な時間をもらった。オーバーヘッドからR/W05に右旋回で回り込んでランディングする姿は、F-5Eのように切れ味が良かった。

Wings
私がSR-71Aブラックバードを撮ることのできた期間は、1977年〜1979年に嘉手納に通った学生時代の3年間だけだった。しかし、この3年間もBeal AFBの9th SRWから嘉手納の.第1分遣隊(Det-2)が展開してくれており、嘉手納基地にはSR-71A3機が常駐体制にあったため、1週間もいれば運にもよるが多ければ2〜3回は訓練フライトを目にすることができた。当時SR-71Aは、ビール空軍基地の9th SRW傘下の1st SRSに集中配備されていたので 1978年からは、1st SRSを意味する”1”の赤い文字が尾翼に入り、この文字にHABU(ハブ)が巻きついている機体もいてマーキングにも変化があり面白かった。1980年以降も嘉手納で撮影ができていれば、もっと様々なマーキングの変遷を記録することができただろうが、私もいつまでも学生をやっているわけにもいかず就職後は、嘉手納へ行く機会もなくなり時代の流れとともにSR-71自身も引退し消えて行ってしまった。st
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サンパウロの丘で海軍・海兵隊のタキシングを撮影している時、突然SR-71Aとお供の車両たちがライトを点滅させながら近づいてきた。R/W05での着陸シーンはみる事があったが、目の前のタキシングを捕えるチャンスは私にとってとても貴重なチャンスである。

1977年8月26日SR71は、半島でのSA-2の稼働状況を確認する任務も負い、半島を西から東へ横断、さらに南下して給油後、今度は東から西に非武装地帯上空を横断、この際発射されたSA-2ガイドラインミサイルの功績を発見したとされる。彼らも命がけの任務である。
西山邦夫先生著の「戦略航空偵察」から

コックピット内の各種光によりパイロットが水平線を確認しづらくなり、バーディゴ(空間認識不全)に陥る危険があったとされることから、SR-71と言えども計器飛行ではなく、パイロットの目に頼る部分が多かったのだと驚いた。

嘉手納上空をパスするSR-71A。

SR-71Aは、専用のハンガーから出て離陸に向かう間、多くの支援車両を伴って仰々しくタキシングを行う。これもショーを見ているようで実に楽しい。飛行前点検では、少なくとも5〜6人、多いと10人近くのスタッフが機体を囲み、担当箇所の点検作業を行っていく。嘉手納のサンパウロの丘や安保の丘と呼ばれた場所は、こうした点検作業をつぶさに見ることができる絶好で場所であったが、ミッション飛行や訓練飛行が毎日あるわけではなく、運も味方にする必要もあった。