1990年代初頭に入ると尾翼にインディアンをモチーフにした黒いライン絵柄が入るようになり 部隊の存在をよりアピールするようになっていた。マーキングは、黒帯タイプなど2種類が存在していたようだ。この時期のマーキングが一番派手で美しい。航空団指定機には、”Willie One"と書き込まれていた。


 ウィリアム空軍基地は、残念ながら1991年に閉鎖され 今は基地として使われていないが それまでは空軍の有力な訓練基地として 特に戦闘機部隊配属前のパイロットの錬成訓練にT-38Aを使っていたようである。私もルーク基地に行った際 当時F-5Eもいたウィリアム基地に立ち寄りたかったが スケジュールの調整はつかず ユマ行きを優先したためウィリアムの白いタロンは、上の写真の機体だけである。
 1941年に陸軍の航空基地として造られ 当時はメサ軍用空港と呼ばれていた。翌年の1942年 事故で殉職したチャールズ・ウィリアム中尉にちなんでウィリアム・フィールドと名付けられた。1963年からT-38Aが配備され 97th FTSがT-38Aを使って訓練を担当していた。1977年には、アメリカ空軍の第一期の女性戦闘機パイロットがこの基地から巣立っている。

 今は、フェニックス・メサ・ゲートウェイ空港として民間中心に使われているが 軍用機の飛来も多く 航空ファンのメッカでもある。

1980年3月 ルーク空軍基地で撮影した2機の白いタロンの内の1機。 64-13231は、尾翼の黒いラインとATCのインシグニアから 航空訓練軍団の機体ではある事は分かったが どこの部隊の所属かは不明であった。その後 1980年代初期のシリアルリストから この機体は、近くのウィリアム空軍基地の第82飛行訓練航空団所属であることが判明した。このT-38Aは、その後テキサス州のシェパード空軍基地の第70飛行訓練中隊で飛行訓練に使われたが 2008年5月1日エンジンストールにより墜落し 教官と訓練生はベールアウトしたが助からなかったという悲劇を起こしたらしい。

ルークの近くにあったウィリアム空軍基地 当時時間が押して行けなかったが ウィリアムで活躍していたタロンの部隊 第82飛行訓練航空団(82nd FTW)をイラストでご紹介しよう。 

T-38's Page
私が小学校の頃である(古い話である) 自宅から学校まで行く道沿いに雑貨店があり 雑貨と一緒にプラスチック模型も通学の児童生徒に見えるよう並べてあった。店の横を通るたびに目に入ったのが 白いT-38Aタロンの模型であった。確かフジミ製で箱絵は実機の写真が使われていたような記憶がある。箱を開けると1/72のその模型は非常に小さく感じられた。えらい小さい飛行機だな・・とは思ったが、タロンの柔らかな機体曲線が、生理的に好感を呼び 以来この飛行機が好きになった。

 実は中学生時代、アメリカのジェット機などまったく興味なく 大戦中のドイツ機の模型ばかり買っていた私だったが このタロンだけは、箱絵を目にして好きになった最初のジェット機であった。1975年航空機の写真を撮り始めてから 1978年嘉手納行で.初めて26ASのタロンを見た。この時は迷彩タロンだったせいかそれほど感激がなかったが ルークやネリスで真っ白いタロンを見たときは 大いに感激したものである。1990年代には台湾でも白いタロンを追いかけて ずいぶんお金と時間を使った。今や白いタロンはほとんど見かけなくなったが この機体よっぽど使いやすいせいか まだまだ米空軍でも使うようで おそらくB-52より息の長い飛行機になるかもしれない。
T-38を使用していた部隊として 一般的に最も有名なのは、やはりサンダーバーズであろう。1974年 当時アラブの産油国が一斉に原油価格を上げたオイルショック時 F-4Eがあまりに燃費が掛かる事からT-38に切り替えたが その運動性能と機動性のよさから 1982年まで8年の長い間使用された。サンダーバーズの歴史からすると ずっと戦闘機を使い続けてきたわけだが 唯一の例外がこのT-38である。T-38時代も本拠地はやはりネリス空軍基地(Nellis AFB)であった。1980年3月ネリス空軍基地のフェンスの外で初めて彼らを目にすることになる。

1970年代から1980年前後まで どこの訓練航空団も白いT-38Aの機体の一部をディグロで塗るか 白いままの機体に尾翼のチップラインを入れるかぐらいで あまり自己主張の強いマーキングは存在していなかったようだ。しかし 1980年代も中期から後期にかけては各訓練航空団共に地元名や基地名などをアピールした独特のマーキングを施すようになった。ウィリアム空軍基地のT-38Aも、1980年代後半から尾翼のチップラインを部隊ごとに色分け分けし ”Willie ”の文字を入れていたようである。文字隊は、時期や飛行隊によって異なっていた。

F-4Eなど戦闘機を使ってきたチームであるため 華奢な機体T-38Aを使用し始めた際は プログラムも大幅に変えたと言われる。機体そのものは、金属疲労などの計測装置を装着し 操縦桿は前席のみに省略 胴体背の機内燃料タンクをスモーク用のタンクに切り替えるなどの改装を行っている。また 元々空中給油装置を持っていなかったので 海外ツアーが不可能になったため このチームをヨーロッパ、アジアで見ることはできなくなった。それでも 足掛け8年の間使われ 約600回の公式展示飛行をこなしているのである。1979年からは ディアル・ソロも復活して 演技に色を加えたが 1982年ネリス空軍基地近くの空域で 訓練飛行中4機が 同時に山肌に激突して 4名のメンバーを一気に失った。この事故は 後にリーダー機の操縦系統に問題が生じたため引き起こしが出来なくなり ラインアブレストでリーダーにしたがって並んでいた3機を道連れにして4機が一気に激突したことが判明したが チーム解散まで論議されたショッキングな事件であった。この事件後 F-16Aで再デビューするまで サンダーバーズは、開店休業となる。
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Insignia of AETC
Wings

一昔、TAC SACなどと並んでメジャー軍団だったATC(航空訓練軍団)は、1993年に航空大学と統合して 高空教育訓練軍団(AETC)となった。現在は、テキサス州ランドルフ空軍基地(Randolph AFB)に軍団の本拠地を置き 空軍主力のF-15、F-16への転換飛行隊から T-38、T-37を使った中等飛行教育訓練、テキサンなどのレシプロ諸島訓練機など 1600機の航空機を擁する一大航空軍団である。その中でも この一連のページで紹介するT-38は、初等飛行訓練を終えた訓練生がいよいよ戦闘機に乗る前の段階で使用する機体として中心的な役割を担ってきた。