T-38's Page
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ウィリアム基地と同様 1990年代に閉鎖された有名な訓練基地としては、テキサス州ラボック市にあったリーズ空軍基地(Reese AFB)がある。Lubbock Army Field として1942年に完成した飛行場であるが 当時は第2次大戦に突入した頃であるため 陸軍は、テキサス州にたくさんの訓練基地を作り 前線に送り出す戦闘機や爆撃機の卵を育て 太平洋戦線やヨーロッパ戦線に送り出さねばならなかった。この基地でも大戦中7000人が巣立っていったそうである。陸軍航空基地は、大戦後そのまま新生アメリカ空軍の訓練基地となっている。

 Reese AFBも例外にもれず 空軍の訓練基地として拡張もされ 2本の大型滑走路と1本一本の補助滑走路を持つ大きな基地であった。
Reese AFBにT-38Aが配備されたのは、ウィリアムと同じ1963年である。ここを本拠地とした第64飛行訓練航空団の元で多くのパイロットが育成された。1997年のこの基地が閉鎖されるまでの間 25000人のパイロットが巣立ったと記録されている。

タロンとは、猛禽類の爪のことである。猛禽類はご存知の通り獲物にとどめを刺す際、くちばしを使うのではなく 強力な爪の力でとどめを刺すところから 強力な武器を表すわけだが タロンの華奢なボディには、しっくりこないネーミングでもある。
 T-38の開発は、1950年代にさかのぼる。J-85というGE製の軽いエンジンを搭載した戦闘機開発(F-5Aの原型 N-156F)をアメリカ空軍の戦闘機に提案していたノースロップ社は、それが全然受け入れられないのを悟り 練習機(N-156T)として空軍当局に提案し直した事から 話はスタートしている。

 当時のアメリカ空軍は、F-100からスタートした重戦闘機時代に突入しており 爆撃のできない軽戦闘機には目もくれなかった。F-105のような爆弾倉まで持った戦闘爆撃機こそが花形とされた時代だった。ある意味今でもその思想は根強く残っている。一方 ジェット練習機と言えばT-33が当時は主力で、新規の高等練習機が求められていたのである。T-38の設計完成は、1958年1月。1959年4月にエドワード空軍基地dふぇT-38の原型1号が進空した。出来上がったT-38は、飛行特性に優れ 操縦しやすく また多種の任務をこなすことができる実に使いやすい飛行機だった。

エンジンは、アフターバーナー付のJ-85-GE-5.1960年には会計予算で完全生産機50機が承認されて生産開始となった。1961年テキサス州ランドルフ空軍基地の3510TFTWに1号機が配備。1958年から1970年まで(会計年度)の生産奇数は、1141機まで膨れ上がり アメリカ空軍の訓練機の主力の座を確保した。

1980年3月にルークで撮影したもう1機のT-38A 63-8169が上の写真である。機首上部から延びる黒のラインが コクピットの後部座席まで伸びている。尾翼には、TACのインシグニアが入り 戦術戦闘航空団の所属であるが 資料によるとニューメキシコ州ホロマン空軍基地の479th TTWの所属だったようだ。

上の写真は、1980年3月ネリス空軍基地にて撮影したもので 4日間の外撮りで唯一撮れた白のT-38A 61-3923であった。尾翼のインシグニアと黒/黄のチェッカーラインからネリス基地所属 57th FFWのものであろう。インテーク横のマークはまさにそれを表している。この機体その後AT-38Bに改造され 最後は、テキサス州のシェパード空軍基地で地上でも各種書き装着訓練などに使われるGAT-38Bとして最後の勤めを終えた。
その頃は尾翼に「ST」のテールレターを入れていたが 今は、ラッセル軍用博物館に展示されているそうである。

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リーズ空軍基地のT-38Aのマーキングの特徴は、尾翼のテキサス州旗と「LB」のテールレターである。1990年代の空軍基地オープンハウスでは、結構展示機として参加しているので 多くのマニアが撮影している。その中で航空団の顔として使われたのが 上から2番目のイラストT-38A 70-1564で ”Reese01”と尾翼に書き込まれ 黒のラインは、機首まで延ばされていた。パイロット達のの卒業記念撮影のバックとしても重宝がられた。

Wings