アイダホ州・・・この名前で思い浮かぶのは、どこかの食品メーカーのポテトチップスのCFでさんざん聞かされた”アイダホ・ポテト”ぐらいである。まぁ 他にアイダホについての知識が無いせいでもあるが とってもとっても田舎の州であることは間違いない。 1980年3月 我々が訪れた時のアイダホの土地は 寒くまた天気も悪かったせいで木々がまばらに生えているものの 実にうら寂しい荒涼とした風景であった。アメリカ大陸の砂漠でも南のアリゾナ砂漠は、サボテンなどがあり台地が赤く西部劇の背景そのものであったが、アイダホの砂漠は灌木こそ生えているものの 灰色の世界に見えた。

 アイダホの州都は、ボイジーで 空港に立ち寄った我々は 民間空港に同居していた州空軍の機体を撮影し 目的のマウンテンホーム空軍基地へと向かった。地図を見ると一本の大きな道路には入れば 基地までわりと簡単に行けそうであった。フリーウェイを下りて基地に向かう道は、田舎にしてはよく整備された大きな道で 地元への配慮から造られたものかと思っていたが、なんと枝道などまったく無いまま まっすぐ基地のメインゲートに直結する道路になっていた。流石 アメちゃんスケールがでかい!!ゲートに向かう途中に小高い丘があり そこから基地全体が一望できたが な・・なんと柵らしきものがまったく無い。この当時は、こんな辺ぴなところで しかもこれだけ広大なエリアでは柵なんてあまり意味を成さなかったのかもしれない。エプロンまで極端に言えば 何の障害物もなく歩いて行けそうであった。そんなエプロンには憧れのF-111が列線をなして我々を待ち受けていた。
上述した丘から撮影したマウンテンホーム空軍基地の一部 写真左手には、基地の主要施設が建ち並んでいた。上空に今帰ってきた1機のF-111が、旋回しているのがお分かりになるか。
ゲートについた我々は、申請許可をもらっていることを伝え PAOの担当者が迎えに来るのを待っていたが、ゲートガードの若い兵士 曰く「はるばる日本からこんな田舎に何しに来たんだ?写真??変わった趣味だね・・おいらは、なんもやることがなくて ギター弾くぐらいだね・・・楽しみと言えば」。我々も「・・・・・・」返す言葉に困ってしまい 笑顔だけを返した。暫くして 迎えに来たPAOの担当官は、若い小太りのおねいちゃん。「え〜!!あなたたち○○日に来るはずじゃなかったの??待っても来ないし連絡もなかったんで もう来ないかと思っていたのよ!それが 今日突然来るなんて・・もう・・」 こちらは申請の日取り通りに来たつもりだったのだが なんかの手違いで先方のスケジュールは違う日取りになっていたようだ。友人が、日本から持ってきた人形を手渡すと 彼女はうれしさを満面に浮かべ「まぁ いいわ・・こんなところまでせっかく来たのだから 見学していって」とPAOのオフィスまで連れて行かれ コーヒーを御馳走になった。彼女曰く どうも日本からわざわざ来る我々を歓迎しようと 当初は色んなイベントを用意していてくれていたようだった。本来ならもっと様々なリクエストにも答えてもらい 実に充実した基地見学が出来たはずであったが 残念である。まぁ 長い旅の中では こんなこともあるかと諦めて エプロンに向かった。
F-111's  Page
Wings
366th TFW
第366戦術戦闘航空団(366TFW)は、唯一F-111のA型を使用していた航空団であった。元々 ネヴァダ州ネリス空軍基地に発足した4480TFWと言う4桁のナンバーを持つ航空団が、F-111Aの最初の受け入れ部隊であった。その後有名な”NA”のレターを持つ474TFWが これら最初のF-111Aを引継ぎ 1968年にベトナム戦に投入されることになる。コンバット・ランサー作戦に投入されたこれら新鋭のF-111Aは、タイのタクリ空軍基地に集結し作戦に参加するが、事故などで墜落機を出し一度ベトナムを引き上げている。 2度目の派遣でも事故が発生したが、 地形追従能力と爆撃機並みの搭載力を発揮し 他の作戦機が侵入することもできなかったハノイの戦術目標でさえ爆撃でき コンスタンドガードV作戦でも活躍し 1972年に本国に帰還した。この後 1977年8月に 474TFWからF-111Aを引き継いだのが 366TFWだったのである。366TFWは、それまで 347TFW(昔 横田基地に駐留していたF-4Cの部隊)からF-111F型を移管されて運営していたが 474TFWからA型をもらって F型をイギリスのレークンヒースにある48TFWに渡した。474TFWは、F-4Dに機種変更している。何とも判りにくい話であるが 要は、新鋭機を緊張の高い欧州に送った玉突き移動である。
冬のアイダホ州は、快晴になることが少ないと言われている。何かいつも雲がかかっているような気分の晴れない天気である。こんな天気に ベトナム迷彩のしかも下面ブラックと言うマーキングの機体では、すっきり撮れない。しかし ”MO”のレターが未だ白であったことが 唯一救われた。366TFWには、389TFS、390TFS、391TFSの3個飛行中隊があったが、見分けられるのはフィンチップの帯の色だけである。この時 エプロンには30数機のF-111Aがならび 誘導員 整備員等が忙しく動き回り 言い知れない緊張感が漂っていた。
世界初の実働可変翼戦闘機となったF-111A、可変翼についている兵装パイロンは、主翼の角度調整に応じて 常に胴体と平行を保つ優れもの。
Many F-111As in Mountain Home Air Force Base
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1980年当時の第366戦術戦闘航空団の編成

第389戦術戦闘飛行隊 389TFS”Thunder Bolts" 尾翼のフィンチップは、黄
第390戦術戦闘飛行隊 390TFS”Boars" 尾翼のフィンチップは、赤
第391戦術戦闘飛行隊 391TFS”Bold Tigers" 尾翼のフィンチップは、青


後の1981年11月に EF-111A電子戦戦闘機を受領した第388電子戦飛行隊 388ECSが発足したが、1991年にF-111統合計画により
部隊名を第429電子戦飛行隊に変え 1993年 Cannon AFBに移動している。1992年には、A型もすべて引退し 366FWは、B-52、B-1、F-15C、F-15E、F-16Cなどを擁する最初の戦闘航空団(FW)に生まれ変わった。
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