F-4's Page
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F-4D  31TFW
ベトナム戦争中には、手持ちのF-100とF-4Eで参戦した実戦部隊だったが、後にF-4D 4個飛行隊を有する訓練飛行隊(31TTW)となった。フロリダ州ホームステッド空軍基地を本拠地としていた。このホームステッド空軍基地は、何年か前の大きな台風により甚大な被害を受けて テレビ報道された基地でもあったが、31TFWも F-16Aに更新した後に解散している。。現在ACCのF-16に変わり”FM”のレターをつけたAFRCのF-16C/D(93FS)がホームステッド空軍基地を本拠地としているはずだ。また 嘉手納に配備されていた”Mig Killer”66-7463が転換配備された部隊でもあり 当時は話題となっていた。
F-4D  474TFW
ネバダ州ネリス空軍基地をベースとする474TFW”ロードランナース”のF-4D。474TFWは、元々F-111Aを所有し ベトナム戦にも参加した部隊である。ベトナム戦では、タイのタクリ基地をベースに 1968年”コンバット・ランサー作戦”を展開 しかしF-111A数機を失っている。
 1977年6月以降 マウンテンホームの336TFWに F-111Aを全て移管し F-4Dの部隊として再開した。傘下には、428TFS/429TFS/430TFSの3個飛行隊を擁し フィンチップは、其々ブルー/イェロー/レッドで区分けしていた。下の写真でお分かりの通り 当時は機体の左右にTFWのインシグニアを入れ TFSのものは書かれていなかった為 部隊の見分けをつける手立ては フィンチップの色だけであった。474TFWは、後にF-16を受領するが、程なく解散した。
F-4E  4TFW
ノース・カロナイナ州スイモアジョンソン空軍基地を拠点とする第4戦術戦闘航空団(4TFW)のF-4E。 4TFWは、インディアンの矢をマークとしている。この部隊 朝鮮戦争で活躍した部隊の1つであり F-86、F-100,F-105等を運用した後 1967年にF-4Dを受領して F-4Eを1970年に受け取っている。F-4Dを使用している時期は、334TFSがテールレターを”SA"、335TFSが”SB”、336TFSが”SC"としていたが 1972年のテールコードの基準変更により”SJ”に統一した。また 1968年の北朝鮮によるアメリカ情報収集艦プエブロ号の拿捕事件に対応し 韓国のクンサン基地に派遣され 横田基地にも多数外来として飛来したそうだ。F-4Dが日本に初めて顔を見せた時である。この1968年の3月から X-1で知られるチャック・イエーガー(当時大佐)が、4TFWの司令になっており 日本にも彼の機体と見られるF-4D(66-7678)が飛来している。この事件の対応に際しては4TFWのF-4Dは、テールレターをすべて消しており フィンチップの色分けでのみ部隊の識別をしたそうであるが 336TFSは、フィンチップにインディアンの横顔を書いていた。F-4Eは1985年まで15年間使用し 1989年F-15Eの最初の実戦航空団になったのは衆知の事である。  
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スイモアジョンソンAFBの4TFW 335TFSのF-4E。テールレターが「SJ」に統一されたためこうしてスライドフィルムで初めてスコードロンまでがわかるが、白黒では、赤・青などは特に記憶に頼るしかない。1980年には、「SJ」の機体もすでに一部黒レターが存在していた、ちょうどこの頃 極東の18TFW「ZZ]も黒レターに変わりつつあり TFW戦闘機部隊の流れになっていた。
この頃のレッドフラッグ参加機は、ほとんど胴体下にECMポッドをつけての参加であった。参加のF-4部隊は、電波妨害を駆使し対空ミサイル網の攻撃を回避しながら 敵役のF-5Eの追撃もかわさねばならない。そして模擬爆弾を目標に投弾するのである。上の白黒写真のそれぞれの機体にはECMポッドがついているものも 左の2機はそれが無い、ECM装置無しでの爆撃行は自殺行為である。20ミリ機関砲か投弾だけの為のフライトだったのかもしれない。
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