F-4's Page
F-4E  4TFW
スイモアジョンソンAFBの4TFW 335TFSのF-4E。テールレターが「SJ」に統一されたためこうしてスライドフィルムで初めてスコードロンまでがわかるが、白黒では、赤・青などは特に記憶に頼るしかない。1980年には、「SJ」の機体もすでに一部黒レターが存在していた、ちょうどこの頃 極東の18TFW「ZZ]も黒レターに変わりつつあり TFW戦闘機部隊の流れになっていた。
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ノース・カロナイナ州スイモアジョンソン空軍基地を拠点とする第4戦術戦闘航空団(4TFW)のF-4E。 4TFWは、インディアンの矢をマークとしている。この部隊 朝鮮戦争で活躍した部隊の1つであり F-86、F-100,F-105等を運用した後 1967年にF-4Dを受領して F-4Eを1970年に受け取っている。F-4Dを使用している時期は、334TFSがテールレターを”SA"、335TFSが”SB”、336TFSが”SC"としていたが 1972年のテールコードの基準変更により”SJ”に統一した。また 1968年の北朝鮮によるアメリカ情報収集艦プエブロ号の拿捕事件に対応し 韓国のクンサン基地に派遣され 横田基地にも多数外来として飛来したそうだ。F-4Dが日本に初めて顔を見せた時である。この1968年の3月から X-1で知られるチャック・イエーガー(当時大佐)が、4TFWの司令になっており 日本にも彼の機体と見られるF-4D(66-7678)が飛来している。この事件の対応に際しては4TFWのF-4Dは、テールレターをすべて消しており フィンチップの色分けでのみ部隊の識別をしたそうであるが 336TFSは、フィンチップにインディアンの横顔を書いていた。F-4Eは1985年まで15年間使用し 1989年F-15Eの最初の実戦航空団になったのは衆知の事である。  
この頃のレッドフラッグ参加機は、ほとんど胴体下にECMポッドをつけての参加であった。参加のF-4部隊は、電波妨害を駆使し対空ミサイル網の攻撃を回避しながら 敵役のF-5Eの追撃もかわさねばならない。そして模擬爆弾を目標に投弾するのである。上の白黒写真のそれぞれの機体にはECMポッドがついているものも 左の2機はそれが無い、ECM装置無しでの爆撃行は自殺行為である。20ミリ機関砲か投弾だけの為のフライトだったのかもしれない。
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