VA-115
A-6イントルーダー攻撃機は、沢山の爆弾を積んで急降下爆撃もできるよう要求されたA-4の後継機、機能中心に設計された結果出来上がった機体は、幅広の翼とタンデム座席と言うスタイル。機首が丸みをおびナマズのような独特の機体形状をしており、マニアの中でも好き嫌いのはっきり分かれた飛行機であった。私も最初は好きではなかったが、見慣れるうちに次第に愛着が湧いてきた。最後この部隊が本国に帰る時は非常に淋しい思いをしたものである。

VA-115は私が見た最初のA-6Aの部隊であるから、FA-18Eになった今でも愛着がある。機首に捜索と追尾を兼ねた大型のレーダーとこれらの情報を解析するコンピュータを組み込んだ為、全天候での攻撃任務が可能で緩い後退角の大きな主翼には多くの兵装が装着可能、8t以上のペイロードを持つ。この為 A-7コルセヤ引退後も現役を続けた。その後 TRAM(攻撃の際の目標識別センサー)などが追加され、対艦ミサイル・対空ミサイルなどの運用も可能になった。元々KA-6Dなどで実施していた給油能力が、艦隊勤務でも欠かせなかったため非常に重宝がられた存在だったのだ。

コダック社のプラスXフィルムを購入して自分でフィルム現像から焼き付け作業までするようになってから、次第に多少は見れる写真となってきた。

↑1978年横田基地祭に展示されたA-6E(NF-512)

厚木に着陸するA-6E NF-501 Bu.No.159181 。一つ手前のコマでNo.が確認できたが、写真は悲惨なほどボケ写真であった。

そして NF-503は、再び機体を換えBu.No.159312となる。↑ 1978年小松基地を訪れたVA-115のA-6E NF-503 Bu.No.159312

ネガカラーフィルムから白黒フィルムに切り替えた頃で現像もお店任せだった。証拠写真程度しか撮れていないNF-500 新規配備されたE型で隊長機指定機である。尾翼の棘のような模様が色違いになっていると言う、良く見ないとわから程度のマーキングの差であった。

Wings
CO&XO

↑ 1978年厚木基地航空祭に展示されたA-6E(NF-503)

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↑ 1978年三沢基地を訪れたVA-115のKA-6D NF-521 Bu.No.152619

1977年にそれまでのNF-503(Bu.No.155629 二つ上の写真)に変わって補充されたA-6E.Bu.No.159315

NF-533という変わったモデックスを付けたA-6B、専門誌によればこのBu.No.155629は、1973年にUSSミッドウェイ横須賀母港化に合わせ厚木に配備されたA-6B PAT/ARMでたった3機しか造られていないそうだ。AGM-78スタンダードミサイルの運用が可能なタイプらしいが、A型と外見上の違いはない。したがってモデックスで一時的に区別していたのかもしれない。1976年2月頃は、NF-503であった。

USSミッドウェイ出港に伴うCVW-5の各部隊のテイクオフ、A-6Aアラブスの面々は、ランウェイに横一列に並び一機づつテイクオフ。一番手前の機体は5本の燃料タンクをぶら下げた給油専門のKA-6D(Bu,No,152911)。給油作業でA型と見分けを付けるため胴体後部にグリーンのラインが入れてある。当初 A-6攻撃飛行隊でA-6とKA-6の比率は10対4で 14機編成であった。
A-6A NF-505 (1976)
A-6A NF-510 (1976)
KA-6D NF-522 (1976)
1976年厚木基地に通い始めた頃に撮影したA-6イントルーダーは、A型であった。当時は”アラブス”と言う部隊名でだったが、1978年頃からE型に交換され部隊名も”イーグルス”に改められた。1976年厚木基地の南側でタキシングの撮れたポイント通称”お墓”から 400mmレンズで撮影したもので この時代私はコダックのネガカラーフィルムで撮影しており、白黒中心の厚木のマニアからは失笑をかっていただろうが、リバーサルフィルムはとても高価で使うことが出来なかった。その後 白黒フィルムの魅力にとりつかれ、私は長い白黒フィルム時代に突入する。
上写真のパイロットがかぶっているヘルメットは、APH-6A デュアルバイザータイプ。夜間攻撃任務の際 スモークグラスでは、視界を妨げる為 無色透明バイザーグラスを併用できるようになっている。
後に HGU-33/P型ヘルメットに更新されている。