VA-22

上写真のA-7E Bu,No159980は、尾翼の”00”が 1977年前後 当時はやりのダブルナッツスタイル。この機体、この後VA-27に移管されNK-412となった。

闘鶏というのは今でもアジア地域(特にフィリピン)ではよく行われているが、欧米では動物愛護団体の圧力の影響でかほとんど存在しない。しかし 人間は賭け事が好きな者が多く かなり以前はもっと広い世界で盛んに行われていたはずである。この闘鶏に使われる軍鶏(しゃも)という鶏の一種はかなり気が荒い・・こいつを見ると恐竜の末裔が鳥であることも納得出来るというものだ。この赤い軍鶏を部隊名にしている部隊は多いが VA-22もまたその一つである。この部隊は第2次大戦後の1948年に創設されたもので 当時F8Fを使用 その後機種を更新しながら A-4 A-7 FA-18の現在に至っている。厚木でもUSSコラルシー寄航時を初め その後USSキティーホーク寄航時などに飛来しシャッターチャンスの多かった部隊で 馴染みも深い。マーキングはシンプルながら良いデザインで後にFA-18C~FA-18Eに変わった以降も踏襲されている。

1978年~1980年のCAG指定機マーキング、この姿で厚木にも飛来して マニアを喜ばした。但し 1977年に飛来したNL-300は、別の機体(159980)で 上のイラストは、その後継である。

USSコーラル・シーは、ミッドウェ―級3番艦で1990年の引退までに数回 太平洋方面へ派遣された際 NLやNKのレターを付けた憧れの空母航空団の艦載機が日本で飛行訓練をしてくれたため  厚木や嘉手納のマニアを喜ばせた。NL-301Bu,No,159975は、1980年代末期ギリシアに売却された。
1977年9月横須賀来航時は、厚木にVA-22以外 VF-191のファントムやスプリッター迷彩のファントムを降ろし 盛んに飛んだようである。

左・下の写真は、1977年9月にUSSコーラルシーの入港に伴い 厚木に飛来したVA-22のA-7Eをとらえた フニュフニュ君の作品である。
1975年リムーア海軍航空基地にて 渡辺 明さん撮影によるVA-22のA-7E、空母コーラルシーに搭載されていた頃である。
1977年9月 嘉手納基地ランウェイ05に緊急着陸するVA-22”NL-304”である。翼にぶら下げているのは燃料タンク計3本と、それに他の飛行機に空中給油する為のバディポッドであるが 給油中に長く伸ばしたブームのケーブルが巻き戻らなくなった為 空母への着艦を諦め嘉手納に着陸したものである。
 こういうシーンをお目にかかるのは長い写真撮影期間の中でも珍しいことだった。この時USSコーラルシーは日本海で活動していたようである。。

VA-22のオリジナルマーキングで 日本への飛来もこの姿がメインであった。軍鶏は、胴体と尾翼にそれぞれ書き込まれている。1972年のラインバッカーⅡを中心に5回もベトナムに投入されたVA-22からは、3機被撃墜 2名戦死 1名行方不明が出ている。

1979年秋 横田から離陸する為滑走するVA-22”NL-303”Bu,No156821のA-7E。翼の下には燃料タンクや兵装をぶら下げるステーションと言われるものが左右に各3個あり 胴体左右には空対空ミサイルが付けられるステーションがある。8.6トンの機体に何と6.8トンの爆弾等をぶら下げることが出来る力持ちであった。そのためA-4スカイホークをあっという間に海軍航空部隊から駆逐して攻撃機部隊の主力となってしまった。
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VA-22のバイセンティニアル塗装例。尾翼のラダーは、通常の青白から国旗の3色青、赤、白に塗り分けられた。1976年アメリカ建国200周年の記念塗装として1年間だけ施された。