USSコーラル・シーは、ミッドウェ―級3番艦で1990年の引退までに数回太平洋方面へ派遣され。その際はNLやNKのレターを付けた憧れの空母航空団の艦載機が日本で飛行訓練をしてくれた為、厚木や嘉手納の海軍機マニアを喜ばせた。因みに↑写真のNL-301/Bu.No.159975は1980年代末期ギリシアに売却された。1977年9月横須賀来航時は、厚木にVA-22以外VF-191のファントムやスプリッター迷彩のファントムを降ろし盛んに厚木上空を飛んだようである。

↑上写真のA-7E/Bu.No.159980は、尾翼の”00”の書き方が当時はやりのダブルナッツスタイル。この機体、この後VA-27に移管されNK-412となった。
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1978年~1980年のCAG指定機マーキングの塗装例。1977年に飛来したNL-300は、Bu.No.159980もほぼ同じ塗装であったが、上のイラストと同一機ではない。
Wings
1975年リムーア海軍航空基地で渡辺 明さん撮影によるVA-22のA-7E。空母コーラルシーに搭載されていた頃である。
VA-22
1977年9月 嘉手納基地R/W05に緊急着陸するVA-22”NL-304”である。翼にぶら下げているのは燃料タンク計3本と他の飛行機に空中給油する為のバディポッドであるが、給油中に長く伸ばしたブームのケーブルが巻き戻らなくなった為 空母への着艦を諦め嘉手納に着陸したもの。
 こう言うシーンにお目にかかるのは長い写真撮影期間の中でも珍しいことだった。この時USSコーラルシーは日本海で活動していたようである。。
闘鶏というのは、今でもアジア地域(特にフィリピン)ではよく行われているが、欧米など西側諸国では動物愛護団体の圧力の影響でほとんど存在しない。しかし、どこの世界にも賭け事が好きな者は多く、以前は世界の多くの地域で盛んに行われていたはずである。日本でも沖縄ではいまだに盛んに行われているそうだ。この闘鶏に使われる軍鶏(しゃも)という鶏の一種はかなり気が荒い・・こいつを見ると恐竜の末裔が鳥であることも納得出来ると言うものだ。この赤い軍鶏を部隊名にしている部隊は多いが、VA-22もまたその一つである。この部隊は第2次大戦後の1948年に創設されたもので 当時F8Fを使用 その後機種を更新しながらA-4/A-7/FA-18と現在に至っている。厚木でもUSSコーラルシー寄航時を初め、その後USSキティーホーク寄航時などに飛来しシャッターチャンスの多かった部隊で馴染みも深い。マーキングはシンプルながら良いデザインで、後にFA-18C~FA-18Eに変わった以降もこのデザインが踏襲されている。
左・下の写真は、1977年9月にUSSコーラルシーの入港に伴い 厚木に飛来したVA-22のA-7Eを捉えたフニュフニュ君の作品である。
1979年秋 横田基地から離陸の為滑走するVA-22”NL-303”Bu.No.156821のA-7E。翼の下には燃料タンクや兵装をぶら下げるステーションと言われるものが左右に各3個あり 胴体左右には空対空ミサイルが付けられるステーションがある。8.6トンの機体に何と6.8トンの爆弾等を積載できる力持ちであった。その為A-4スカイホークをあっという間に海軍航空部隊から駆逐して攻撃機部隊の主力となってしまった。
VA-22のオリジナルマーキングでA-7Eで、1970年代後半日本に飛来した時もこの塗装であった。軍鶏は胴体と尾翼にそれぞれ書き込まれている。1972年のラインバッカーⅡも含め5回もベトナムに投入されたVA-22からは、3機被撃墜、2名戦死、1名行方不明の損害が出ている。
VA-22のバイセンティニアル塗装例。尾翼のラダーは、通常の青白から国旗の3色青、赤、白に塗り分けられた。1976年アメリカ建国200周年の記念塗装として1年間だけ施された。AAMは、1970年代アメリカ海軍が使っていたAIM-9H