空母ハリー・トルーマンに変わったのが2000年のデプロイメントからで、この塗装は恐らく搭載されて暫くして書かれたもので、その後のVAQ-130ショーバードの基本形となったマーキングだと思っている。ワイバーンは、エメラルドグリーンで鼻筋が黒く塗られた精悍な顔をしている。Bu.No163526

VAQ-130

VAQ-130の尾翼をかざるドラゴンは、基本形を維持しながらも時代によって少しずつデザインが異なっている。また まったく異なるマーキングを施した時期もあり、イラストでショーバードとなった機材とそのマーキングの変遷をご覧いただこう。

VAQ-130は、1975年にEA-6Bを受領してから35年以上も使い続けた飛行隊で 電子戦用の機材の操作も含め2名で運用できるEA-18Gが開発され、2011年に機種更新をするまで長い事後継機がなかったことが原因である。逆にそれだけEA-6Bは優秀な機体であった訳で、3人の電子戦士官が乗り組み操作しなければいけない程、電子戦機材の運用は複雑かつ高度なものなのだろう。

上のEA-6Bと全く同じ機体であるが、翌年フルカラーのものに書き換えられたらしく、空母上での写真が残っている。ネリスのレッドフラッグにも参加した機体でこのマーキングはデザイン的にも面白く、大いに話題となったはずだ。EA-6B Bu.No.163400

海軍のプラウラー実戦部隊としては、最も古い部隊で1975年にEA-6Bを受領した頃は、海軍の空母航空団でEA-6Bは貴重な存在であり、数も不足していた為、VAQ-130は多くの空母に派遣されたと記録されている。
Wings

1995年〜1996年 原子力空母セオドア・ルーズベルトに搭載された頃のAC-620、ワイバーンが尾翼のレーダーに掛かる程大きく書かれた。目は赤く、口からは黄色く電光が出ている。EA-6B Bu.No.163400

2006年に横田基地に展示された機体と異なるが、ワイバーンのデザインは同じで ちょっとひょうきんな顔に書かれている。翼竜の翼を少し広げたように大きく書いてレーダードームにまでペイントが及んでいる。Bu.No.161347
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最初にEA-6Bを配備されて載った空母は、当時新鋭のUSS NIMITZで所属はCVW-8。ラダーには、電光を持つワイバーン(翼竜)が書かれてあった。1984年までの10年間に4つも空母を乗り換えた忙しい飛行隊だった。EA-6B Bu.No.158542

このドラゴンは、時期によってデザインを変えてきたが 2006年版は、少し迫力に欠けるユーモラスなタッチとなっている。
"Zappers"とか”Zappers Dragons”の愛称を持つVAQ-130。Zapperは、目の前にあるものを全てなぎ倒す猛烈な電撃の意味であるが、映画の中でワイバーン(火を吐く伝説の翼竜)が地上を一気に焼き払う場面 (日本のゴジラ映画に出てくる三頭のキングギドラが最もイメージに近い)・・恐らく、あのようなイメージだろう・・・また 量子の父と呼ばれるレイモンド・ライフ博士が発明したマイクロ波を使って病原体を死滅させる理論から開発されたマイクロ殺虫機などにもこの名称が使われ、2つ共にVAQの任務に通じる所がある。
VAQ-130では異色ともいえるマーキングがこれで、ラダーがブルーに塗られタツノオトシゴのような翼竜が小さく書き込まれている。ラダーとエンジンナセルのペイント以外全てロービジ仕様なので、ショーバードとして塗装されたのか否かは不明。空母甲板以外での写真は確認できていない。Bu.No.161347

1997年のウィドビー・アイランドのオープンハウスに展示されたVAQ-130のEA-6Bでアニメチックな翼竜が描かれていた。このマーキングの記録写真は少なく、全体像が掴みにくいのだが、恐らく空母名はセオドア・ルーズベルトと書かれていたはずである。

EAK-3B時代から右のインシグニアを胴体に書き込んで、日本にも時々飛来した部隊であるが、1959年に早期警戒部隊として創設され、後に1969年電子戦専門飛行隊として再編成された伝統のある部隊。1975年にNASウィッドビーアイランドでEA-6Bを受領し、CVW-8に所属して航海に出たのがプラウラーデビューである。1992年ボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争に派遣されているが、この時初めて部隊のメンバーとして女性士官が加わった。横田基地の航空祭でにもVAQ-130の女性クルーがいたが、これもこの部隊が先駆けらしい。2006年岩国に展開し数々のオープンハウスに参加してくれたおかげで、多くのファンがこの機体を撮影することが出来た。