VF-111
(1956〜1995)
F-14Aトムキャットのマーキングの人気ランキングで例えればVF-84(現VF-103)が西の正横綱であり、VF-111は東の正横綱であると思っている。旭日旗を半分切ったようなVF-111のモチーフは、実を言えば日出る国と言われていた日本国が第二次大戦で敵国として対峙した為、「俺たちが風穴開けて海に沈めてやる」と言う意気込みを意味しており 日本人の我々にとっては本来とんでもなく許しがたいマーキングなのである。しかし、歴史は歴史、戦闘機部隊の気概を表しているだけであるとも言える。実際には旭日旗は、欧米でもデザイン性が優れていることから底堅い人気を誇り、本来の意味を知らずに使われていることも多い。

 ベトナム戦争でもF-4Bファントムに纏ったこの派手な衣装のまま爆撃に出ており、Mig撃墜の記録もあることから歴戦の部隊としても有名であり、彼らのファントム時代に写真を撮ってみたかった。VF-111がF-14Aを受領した頃は、既にハイビジ塗装が幕を閉じてロービジの時代に突入していた。 F-4時代尾翼一杯に描かれた旭日旗は、トムキャットの胴体後部の整流フィンに小さく遠慮がちに書かれた。1979年USSキティホークのデッキで初めて目にした彼らは一様にこのマーキングでがっかりさせられたものだ。
 しかしである 数年後USSカールビンソンに搭載されWESTPACした際 彼らは、F-4時代の最も派手なマーキングをF-14に再現して NAVYマニアを驚喜させている。厚木にも飛来したNL-200は正に私が待ち望んだマーキングであったが 撮る機会には恵まれなかった。それについては撮影の機会に恵まれた幸運な友人の写真をUPする事としよう。 
渡辺 明さんから送っていただいたVF-111のF-4N。1975年ミラマーでも撮影である。尾翼の日章旗をベトナム戦争当時の全面的なペイントからラダーだけの比較的地味なデザインに変えた頃のもの。この後1976年VF-111は、CVW-17に移動しCV-42 USSフランクリン・ルーズベルトの最後の航海に”NM"のレターを付けて参加した。この写真の掲載をさせていただくにあたり イラストを作成することとした。
Wings
↑ NL-201 (BuNo 153019) was an F-4B Phantom that belonged to the VF-111 Sundowners embarked on USS Coral Sea (CVA-43) during the Nov 1971 to Jul 1972 cruise to SEA. Using the callsign, ‘Old Nick two-zero-one', on 6 March 1972 it was flown by Lt Garry Weigand and Lt(jg) Bill Freckleton . When they launched off the USS Coral Sea that afternoon and headed toward North Vietnam they had no idea the mission would ultimately end with their engagement and shoot down of an enemy MiG-17 aircraft near Quang Lang airfield.

↑ 1976年はアメリカ建国200周年の年で、部隊のF-4Nはバイセンティニアル塗装で祝った。CVW-19は空母フランクリン・ルーズベルトに搭載され、VF-111も珍しく大西洋・地中海方面への任務に就いたのが1976年から1977年の間である。

F-14A
1979年10月14日横須賀、空母キティーホーク(USS Kitty Hawk)の甲板最後部に固定されていたF-14A。F-4Nファントム時代 睨めつけるような迫力のあるシャークマウスを描いていたVF-111であるが、F-14Aに書かれた鮫口は目の縁取りが2重線になった事で、迫力に少し欠けるものとなった。しかしトムキャットにシャークマウスは、この部隊が存在しなければ有りえなかったもので、それが我々の目の前に現れただけで感激ものである。
従来、尾翼一面に書かれていた沈み行く旭日はエンジンしたの垂直安定版に書き込まれ、F-4時代のマーキングを知るマニアを落胆させた。しかし本当に落胆したのは、Vf-111のクルー達であったろう。ペアであるVF-51が全機ブラックテールであっても標的曳航機でもないのに尾翼に赤白の大きなマークを書き込むのは、ロービジの波が迫りつつあった当時の海軍の中で遠慮が働いたのかもしれない。しかし15年後の1994年にUSSカールビンソンに積載されて航海に出た際は、彼らは鬱憤を晴らすが如く思い切ってF-4B時代ののマーキングを復活させている。
10月14日公開日、この日 撮影できたVF-111のF-14は2機のみ、しかも展示のNL-205は、順光で撮ろうとすれば甲板の制限で距離が足りず全体が収まらない。デッキ側からだと機体の周りに人が多く入ってしまい絵にならない。人気のF-14Aは、夕方まで人だかりが絶えなかった。
この頃 横須賀を母港としていた米空母はUSS MIDWAY、艦載機の居る厚木基地は依然ファントム時代の中にあった。原子力空母の寄港には、まだまだ強い反対があり簡単ではなかった時代。その為、このキティホークと同じ太平洋方面に所属するコンステレーションの2隻だけが、横須賀に寄航してくれる可能性の高いF-14搭載空母だったのだ。
1994年11月 USSキティホークから厚木に飛来したF-14A。翌年にはこの部隊は解散することが決まっていたので、厚木でこのフルカラーのF-14Aを目にしたマニアは狂喜したはずである.。撮れなかった人は私も含め相当悔しい思いをしている。フニュ君によればこの日は天気が悪かった為に厚木で撮影をしている人は程んどなく、彼と数人だけがこのチャンスをものにできたらしい。
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↑ 1975年NAS ミラマーに展示されたVF-111のNL-200番をイラストにしてみた。ただでさえ派手な尾翼にCAGカラーを加えた司令官指定機でビューアル・ナンバーも151000と切が良い。機首のシャークマウスは、時代によって微妙にデザインが異なる。1975年 VF-111は6機のJ型を受領したが、空母での運用の問題で再びN型に戻り、F-14Aに交換されるまでJ型が部隊の主役となることはなかった。