VF-154
1991年USSインディペンデンスが横須賀を母港とする事になって 初めて我々日本の航空ファンにとって、F-14トムキャットは身近な存在となった。現役で飛んでいる期間中、その人気に陰りが出たことはなく、F-14Aの退役が近づくほどに 益々人気は高まっていった。長らくペアを組んでいた姉妹飛行隊のVF-21が解散した後 厚木を訪れるNAVYマニアにとって被写体の最大のターゲットは、いつもVF-154のF-14Aだった。

 VF-154がF-14を受領したのは、1984年と他の飛行隊に比べ遅く F-14A受領後もF-4時代から連れ添ったVF-21とペアを組んでUSSコンステレーションに搭載された。私が最初に目にしたのは1987年5月、空母コンステレーションから飛来し 厚木のオープンハウスに突然展示された時が最初である。厚木のオープンハウスにF-14が展示されたのは、この時が初めてと記憶しているが、どん曇りの天気の中とはいえフルカラーマーキングのF-14にえらく興奮したのを覚えている。その後 彼らが、厚木を本拠地としてからは、様々なCAGマーキングが施されるようになったが、私個人としては、この時飛来した機体に描かれたF-4時代からのオリジナルマーキングがシンプルでもっとも好みである。永らく我々F-14ファンを魅了してきたVF-154も、2003年FA-18Eに転換を機会に本国に移動となった。(2010/2 記)
← F-14's pirot & my daughter
She was very happy!!
↑ NF-100とNF-101には上記のマーキングが施された。以前に比べ決して派手ではないが、実戦向きのマーキングとして我々マニアはこのマーキングを歓迎したものである。これが撮れれば満足な1日であった。左翼にサイドワインダーの訓練弾を装着している。
NF-100(1995)
XO(1996)
CO(1994)
(1992)
(1992)
(1992)
(1992)
XO(2001)
Last F-14's knights (2003)
Wings
TAIL MARKING (1995)
↑ 左翼にフェニックスミサイルのイナート弾をぶら下げて厚木で訓練中のNF-110。このマーキングは2001年11月頃から見かけられ 2002年にはほぼ全機に施された。1996年に対地攻撃用の改装が行われている為 純粋な邀撃戦闘機ではなく すでに戦闘攻撃機としての役割が大きいトムキャットであった。
1987年5月の厚木航空祭に展示されたVF-154のF-14A.高い交通費をかけ混雑を押していくだけの価値が充分あった被写体であった。
NK-104(1987)
TAIL MAKING
↑VF-154のF-14A最後を飾るマーキングでこのページを終わろう。最後のマーキングは尾翼の明暗部分を入れ替えたネガチブなものだったが、ダークグレーの下地が落ち着いた雰囲気を出しマニアに好まれた塗装となった。また、ラダー下部に星条旗と”BKR”の文字を入れアクセントを取っている所も良い。この機体は(NF-104 158620)、イラク・フリーダムに参加した12機の内の一機であったが、作戦中にトラブルで墜落失われている。 
2003年9月24日11機のF-14Aが厚木を飛び立ち本国へ帰還した。1977年に厚木に初飛来して以来憧れてやまなかったF-14Aが厚木に配備され、そしてまた厚木基地を去っていく。30年間もアメリカ空母艦載機の主力を担ってきたトムキャットも老兵となり、第一線を退き引退への道を歩んだ。
↑2002年3月フラットレー中佐はモンガー中佐と交代しVF-154のCOに就任。親子3代のNAVY一家で、お祖父さんは海軍中将迄なられたそうである。(  )は撮影年。
NF-100(1994)
NF-100(2001)
TAILMARKING
(1996)
NF-100(1999)
↑ 厚木夕方のR/W19のタッチダウン。少し黄色みがかかった夕方の日差しを横から浴びている為、下面にも光が回っている。右翼付け根のパイロンにはAAQ-225/LANTIRNポッド、夜間爆撃の際に目標指示に欠かせない道具である。
TAIL MARKING (2000)
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(1993)
(1993)
(1993)
(1992)
VF-154厚木駐留の後半は部隊名に因んで黒のつなぎに変更しているが、スコードロンカラーの黒と赤の内、赤はT-シャツに反影させており中々お見事、お洒落でございます・・・
←左下写真のCOモンガー中佐は、2000年12月に前任のキング中佐と交代で赴任した。
(1997)
(1997)
CO(2001)
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