VF/A-161
多くの海軍ファントム飛行隊が、FA-18ホーネットに機種交換しVFA化して行った中、VF-161は、VFA-161として返り咲くことができなかった。しかしVF-161は、太平洋戦争時代に編成された戦闘機中隊で歴史は古く、タラワなど多くの激戦地を戦った戦闘機部隊であったのだ。1945年の終戦共に一度部隊は解散しているが、1960年にNAS セシルフィールドで再編成されて 最初の受領機は F3Hデーモンを使った。
 1964年暮れからF-4Bを受領して USSコーラル・シーに搭載され ベトナム戦に投入された。その後の活躍は、前述したので割愛するが、1980年の12月と1981年の2月ににシスタースコードロンのVF-151と共にF-4Sを受け取っている。本来 VF-151と共にFA-18Aを受領して厚木に戻ってくる予定だったが、解散となった為 その後VFA-27が厚木に来ることになった。
F-4S
198011Midway入港の際 厚木に帰ってきたF-4Jはグレースキームに変わっており その後F-4Sを使用した時代もグレースキームが基本となった。同時にA-7Eも すべてロービジに変化 VA-56も同様、グレーに白地のレターにかわった。

1962年に制定された部隊マーク、盾にストライプ、コンパスの針とトライデントの組み合わせである。

↓ 1977~1978に掛けては、VF-161が嘉手納で訓練することも多く、下の数枚は、厚木ではなく嘉手納でのR/W05の着陸シーンである。

Fighter Squadron VF-161 flew off the USS Midway for the last time on 24 March 1986. This marked the end of an era as this was also the time the F-4S was to operate from an aircraft carrier. The Chargers reported to NAS Lemoore fortransitioning to the  FA-18A Hornet. On 1 July 1986, VF-161 is renamed VFA-161 but, instead of returning to Atsugi, Japan with the rest of CVW-5 in October, the squadron was reassigned to COMLATWINGPAC ending her association with CVW-5.
F-4SになってからのVF-161のF-4ファントムはあまり撮れていなかったのだが、S型に変更になって全体的にロービジビリティ塗装が施されるようになっても 尾翼の稲妻だけは、”赤色”でペインティングがされていた。ところが 1985年の10月頃を境に色気のある部分はまったく無くなり 上記4機のように グレーの濃淡で配色した灰色の世界に突入した。1986年4月8日 最後のF-4Sが厚木を離れる時 懐かしの黒ラインに赤い稲妻を書き込んだF-4S(160789)が超低空でテイクオフして 周辺で別れを惜しむマニアに最後の感動を与え飛び去った。
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1979年から1980年かけてUSSミッドウェイは、イラン革命によるアメリカ大使館占拠事件対応などで出動、解決するまでの間VF-161もアデン湾の監視業務などに従事したとされる。

↓ CVW-5のベースであった厚木基地で飛行訓練を行っていたVF-161のF-4J。左面の写真は、R/W01の午後、右面の写真は、R/W19の午後の着陸で、ともに2時過ぎぐらいから光線状態が良くなっていく。

J型に変わってエンジンの排気ガスの無鉛化も進み、長い煙を吐かなくなっていた為、マニアにとっても目視による確認がやりづらくなった。

F-4J

↑ 厚木基地のR/W19で離陸の為滑走路へ向かうVF-161 NF-100。J型に交換された後の100番は、特にCAG機としての特別なマーキングも施されず、NF-200番機とのマーキングの格差は大きくなり注目を受ける事もなかった。

Wings

F-4Jは、1966年から生産開始したとされ、その機数は、577機となってB型を更新して行ったが、大きなレーダードームには、最新の海面クラッターを除去して捜索できるパルスドップラーレーダーが付いたのと、エンジンがより強力になったのが特徴。

沖縄嘉手納基地のランウェイをタキシングするVF-161のNF104、機首上部をグロスブラックで塗っていた為、正面から見た姿も機首が引き締まって、非常に美しかった。↓