VF-201

VF-201はベトナム戦争後期の1970年7月に創設された飛行隊で、予備役部隊である。創設のこの年VF-202と言う姉妹飛行隊も創設されている。この時期、アメリカ海軍はベトナム戦での初期の損耗にショックを受け、いざと言う時補充が効くよう予備役の充実を図ったと思われる。VF-201はテキサス州NASダラスで生まれここを本拠地にしており、予備役という事もあってあまり米国内のショーにも展示されないし、ましてや日本に来ることもない飛行隊だ。1974年からF-8からF-4N型に換え、一時は極めて派手なマーキングを施していたが、1980年ユマで行われた予備役部隊の総合訓練”リザーブ・ファイター・ダービー”ではご覧の通り一切のカラーマーキングを排して、グレー一色のロービジ塗装であった。塗装的には面白くも何ともないが、予備役部隊自体が撮影のターゲットとしては貴重であったから、この部隊を見たときは嬉しかった記憶がある。

彼らが尾翼につけているテールレター”AF”はCVWR-20の記号、つまり第20空母予備役航空団を意味する。1970年ニクソン大統領就任2年目の年、太平洋方面と大西洋方面に一つずつ予備役の空母航空団が作られ、大西洋側がCVWR-20”AF”で、太平洋側に作られたのがCVWR-30”ND”だった。この航空団は予備役と言えど、戦闘機部隊から早期警戒機部隊まで揃え、空母に搭載されればそのまま即戦力になるよう構成されていた。

州航空兵(ANG)のパイロット同様、予備役部隊のパイロット達も現役を退いた者で構成されており、ウィークディは別の仕事か任務に就いていて 土日に飛行訓練に励むという具合である。しかし 即戦力化を目的にしているため、州兵よりは厳しい訓練項目が用意されていたはずで、空母への展開訓練やこの競技会のように年何度かの合同訓練があった。

VF-201は古いF-4Nを使いながらも、1981年PAC地区の射撃大会においてF-14の飛行隊を退けて堂々の総合2位を獲得している。

オランダの友人オルス氏から送られてきたVF-201のF-4Nの写真、カラーのマークが入っており美しい! このマーキングは後にF-14AがVF-201に配備された時に踏襲されている。VF-201は、1994年クリントン政権下施行された予備役部隊の大整理でも生き残り、VFA-201と部隊記号を変えてアグレッサー飛行隊として活躍している。

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