AF207とAF212は、お互いにマイクで会話を楽しみながら、並んで離陸に向けタキシングしていった。予備役部隊にとって年に一度の大きなイベントであり、リザーブ部隊が一挙に集まるこのような競技大会では仲間意識は大いに盛り上がる。下写真はAF-204とAF-212のペアで、上写真とは時刻で異なるシーン。
(1970〜1994)
彼らの部隊名は、”Superheats"「 過熱」である。F-4Nは、エンジンも含め機体の外形は、ベトナム戦で活躍したF-4B型と変わらない。電子機器が入れ替わっており、予備役部隊はこれを長く使いJ型には移行せずに海軍ファントム最終型となったS型に転換した。VF-202は戦闘機中隊として、米海軍で最後までF-4ファントムを使った飛行隊である。最後
隣のVF-201のページでご紹介した通り、1970年7月VF-201より僅かに早くNASダラスで創設された予備役飛行隊でF-8Hクルセイダー戦闘機を配備されて訓練を開始している。1976年にF-4Nに機種交換し、私たちがユマでVF-202と出会った時は、ちょうどF-4N受領から4年目の春だった訳である。この頃のCVWR-20の構成は、戦闘機部隊が、VF-201とVF-202、攻撃機部隊が、VA-203とVA-204とVA-205の3個、偵察部隊がVFP-206、電子戦がVAQ-209、早期警戒隊がVAW-78の構成である。VF-302を除きCVWRに配備されたF-4Nの飛行隊は、何故かスタート当初レードームを一様に黒く塗っており、それだけにマニアでもマーキングでは良く知られた存在だった。姉妹飛行隊のVF-201と共にその後F-14A戦闘機に機種転換したが、VF-201がTARPS(写真撮影キット)の運用応力を持つことになり、それを譲ったVF-202は、海軍の削減計画に飲まれ1994年に解散の憂き目にあってしまった。VF-202解散で余剰になったF-14は、NASオシアナの訓練部隊VF-101へ移管された。(2021/5 記)
尾翼のラダーを飾る3色と星はもちろんテキサス州の州旗であるが、このVF-202のマーキングは、他にも数種類が記録されており 胴体に黄色いラインが入った塗装例もあった。後日 F-4シリーズのイラストを作り始めたらご紹介したい。