VF-213
Wings
この飛行隊がF-14Aを受領したのは、1976年。私が本格的に写真を撮り始めた年であった。翌年1977年に空母キティホークが横須賀に入港した際 私も含め厚木のマニアたちは、この部隊の厚木飛来を大いに期待したものである。(その前に来たコンステレーションのVF-211/VF-24で皆味を占めていた。)しかし A-7/A-6などが訪れたものの F-14Aは、空母に乗ったままで一度も顔を出さなかった。何年か後に 厚木/嘉手納に飛来しているものの 私にとって日本では殆ど縁の無い部隊であった。シスター・スコードロンのVF-114”蟻喰い君”など一度も目にしないうちに解散してしまった。結局 彼らに会うことが出来たのは20世紀も終わりが迫った1999年、しかも NASオシアナと言うアメリカ東海岸のえらい遠い所である。大西洋方面のF-14部隊ならともかく太平洋方面の部隊で初撮りに23年もかかったなんて よっぽど縁の無い飛行隊だったのだろう。
VF-213のインシグニアは、星座の”獅子座”であり 獅子座の星の配列どおり黄色の星が並べてあり 「勇気と不屈の精神」を象徴しているとの事。
1955年6月22日にNASモフェットフィールドで編成された部隊である。最初からF2H-3バンシーといったジェット戦闘機をつかった比較的新しい飛行隊である。F-4を受け取ったのが1963年、他の飛行隊がF-4B型であるのに VF-213だけは何と、今は一般的となったが当時では画期的な母艦や空中警戒機とのデータリンク機能を持ったF-4G型であった。その後CVW-11(NH)に配属となり 一時的にB型にバージョンダウンしたが F-4Jを1969年に受領した。1966年からベトナム戦に参加、1972年の秋まで5回以上クルーズで戦っている。特筆すべきは 1972年のラインバッカ−作戦への参加であろう。過去最大の北爆となったこの作戦は、アメリカが北ベトナムとのそれまでの交渉でなかなか停戦が実現しない為 一挙に交渉を前進させる為のカンフル剤的な意味合いがあり B-52は首都ハノイ、ハイフォン港などにはじめて爆撃を敢行した。北ベトナム政府に「アメリカは、ベトナムを石器時代に戻そうとしている」と言わしめたほど激しい爆撃には、キティホーク、ハンコック、サラトガ、オリスカニ、ミッドウェー、アメリカなど6隻の空母も参加 CVW-11の攻撃隊ははじめて”ウォールアイ”誘導爆弾を使って精密なピンポイント爆撃を行っている。これが、VF-213のベトナムでの最後の仕事になった。1975年暮から ミラマーで新型戦闘機F-14Aへの転換訓練が開始され 1976年に完了している。
黒獅子の群れが、移動する!(Black-Lions taxi out)
(Black-Lion of AJ-111)
2002年オシアナで見た彼らは、尾翼に”AJ”のレターを入れていた。VF-211が、長らく所属した太平洋艦隊のCVW-9からCVW-1に変わったのと同時にVF-213も大西洋方面のCVW-8に行ってしまった。その代わり太平洋方面はVF-102がVFA-102に部隊名を変更してCVW-5に来た。2003年1月から”AJ”のレターを付けた彼らは早速USSセオドア・ルーズベルトに艦載され イラク・フリーダム作戦への参加を行っている。オシアナに帰還したのは5月28日である。機種にはそれぞれ出撃マークが書かれていた。
2003年のオシアナ航空ショーは、エクソンなど大手スポンサーが手を引いたことにより ネプチューン・フェスティバル2003ではなく 海軍主体の航空祭となった。F-14の影もすっかり小さくなったオシアナであるが、F-14の展示機は、久々に色つきのCO機である。とは言っても VF-213のCO機は、濃紺の獅子座が描いてある事とコックピットのラインが同系色で塗られている実にシンプルなものである。
いつぞやもそうであったが、ショー期間中にそそくさと部隊ごと移動してしまう。その為 あまりじっくり撮影する時間も無い。もう少しじっとエプロンにいてくれれば、撮影のチャンスも多いのに・・・実に落ち付きの無いライオンたちである。
(AJ-102)
(Two Lions Take Off !)
(AJ-111)
(AJ-107)
(AJ-106)
(AJ-105)
(AJ-104)
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AJ-101,164341