VF-21
Wings
(1993)
(1994)
(1994)
(1995)
"Lancer"とは、騎士の象徴である長槍を持った槍騎兵の事だが、部隊マークのブラックパンサー(黒豹)は、どこかの騎士の紋章なのだろうか・・ F-4時代も大きなシェブロンにこの黒豹のマークが輝いていた。尾翼を飾るシェブロンは時にベースが黒だったり黄だったりで色を変えているが、やはり黄が一番お似合いだと私は思っている。F-14Aを受領したのは、実戦VFの中で一番遅いほうで 1984年の3月、しかもF-4Nからの更新だった。これは、彼らのF-4でのラスト航海がUSSコーラルシーであった為、当時配備を受けていたS型が乗せられず 急遽N型に機種交換したことによるものだ。
 F-14Aを受領後は、CVW-14に所属しUSSコンステレーションで活動したが、1991年にCVW-5に移り 我が国をベースとするようになった。グレーのロービジ塗装になっても キャノピ周辺を黒く塗り分けしていた伝統を引き継ぎ 暗めのグレーで塗るこだわりは捨てなかった。1996年に部隊は解散した。
1979年7月 USS RANGERより沖縄の嘉手納基地に飛来したVF-21のF-4J。この2機は、尾翼のシェブロンが黒であったが、別の日に飛来した機体には 黄色のものもあった。どちらかに塗りなおす途中で どうも両者混同だったようだ。
F-14A
F-4J
4
NF-200 (1994)
NK-205 (1987)
VF-21は、ベトナム戦で初めて北ベトナムのMigを撃墜したスコードロンとして有名である。1965年6月17日空母MIDWAYを発進したVF-21のF-4B/151488による記録。搭乗員は、トーマス・C・ページ中佐とジョン・C・スミスJr大尉のペア。
NF-200 (1994)
NF-204 (1995)
NF-201 (1994)
Black-Tail of Last Lancers (1995)Bu,No,161616il
(1992)
1987年のUSSコンステレーションの西太平洋航海時において VF-21とVF-154のF-14が 厚木、百里 千歳などのOHに展示された。往年のガルグレーにフルカラーのマーキングは マニアを感激させるに余りあるものであった。
カラーCAG機復活の第1号!1994年の厚木WINGに展示された”NF-200”伝統の黄色いシェブロンと黒豹のマークは F-14に良く似合う。エンジンカバーもスコードロンカラーできめている。
航空母艦積載の大型戦闘機部隊は、1飛行隊のみ!TARP(偵察ポッド)運用能力の無い飛行隊から閉鎖 なんと言う冷たい指令であろう。海軍のこの方針に基づき F-14飛行隊は次々に解散し約半数の勢力まで減ってしまった。CVW-5でもVF-21が生き残り このVF-154は、解散 なんと4年余りでお別れとなった。1995年12月厚木を最後の5機のF-14Aが去り 翌1月公式に閉隊している。
1979年の嘉手納は、我々マニアに多くの収穫を与えてくれたが 最も大きな収穫の一つが、VF-21のF-4Jで 沖縄近海に展開中のUSSレンジャーから 7月8月にかけて数機が飛来している。テールマーキングも2パターン(上写真の従来タイプと下写真の新タイプ)の両者が見られた。当時のカラーネガを捜して ここに再現して見たが まだまだ当時の思い出を充分再現できる色が残っていた。207番と211番は、お互いにお尻を向ける形で駐機しており 400mmでしこたま撮りまくった。 
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VF-21とVF-154が厚木をベースとしたのが1991年9月、ここから我々にとって憧れだったトムキャットが身近に撮れるようになった。1992年の厚木の航空祭でデモフライトした最初の3機の内 2機は、VF-21所属だった。
厚木に配備されたら早速撮影しておかねばならない、部隊のマーキングが時々変わってしまうからである。当初配備された1991年から1992年ぐらいまでは、機首上面のダークグレーのライン、尾翼のチップラインがはっきり書かれていたが その後少しづつチップラインがないもの 機種の上面の塗り分けのないものが増えてきた。
1992年後半から 尾翼の黒豹の絵柄がシェブロンを突き出る形で大きくなった。下のカラーモードになったNF-200は、1994年撮影のもの。
R/W19で厚木に着陸するF-14A NF-207、横風の影響か右に大きくバンクした。私が、コダックの超微粒子フィルム テクニカルPANを常用していた頃の写真である。バンブー文字は、CVW-5では、VF-21が使い始めたのが最初か・・・