↑ VF-21は、1967年から1979年までずっとUSSレンジャーのCVW-2に所属しており、この間数度マーキングの変更を行ったが、これはF-4J Bu.No.158378に施されたCAG塗装で インテークにある星は、トンキン湾事件の時VA-56の司令として活躍し 後にレンジャーのバトルグループコマンダーとなったマクダーネル提督に敬意を表したもの。
(1944〜1996)
VF-21は、F-14時代に厚木のCVW-5に所属していた為 馴染みのある飛行隊であるが、太平洋戦争末期に創設された戦闘機部隊で解散や再編を繰り返して 今のVF-21が正式名称となったのは、1958年からである。当時の大型空母USSミッドウェイに搭載され F3H-2デーモンを配備された。1963年からF-4Bに換装してベトナム戦に赴くことになる。
1965年3月USSミッドウェイでトンキン湾に入ったVF-21は、6月17日ハノイの南60kmで4機のMog-17戦闘機と遭遇内2機を撃墜した。この日ベトナム戦で海軍空母航空隊として最初の撃墜記録を打ち立てた飛行隊となっている。この日2機のF-4B(サンダウン101とサンダウン102)が其々1機ずつMig-17を撃墜している。
VF-21は、翌1966年からUSSコーラルシーへ移動、その翌年USSレンジャーに移動した。それから1980年まで15年間 CVW-2 USSレンジャーが彼らの所属であった。1968年にF-4Jに換装し、1980年に機体のやりくりから古いF-4Nに切り替えられたが、1984年F-14Aの部隊としてデビューしている。
↑ レードームの黒塗りラインをコックピット上面と下面まで延ばしたマーキングで、尾翼のチップも黄色く染め 恐らくVF-21歴代塗装で一番派手なスタイルである。この機体は、後方に小さく書かれてあるBu,Noが無い。F-4J Bu.No.158359
↑ イラスト最下段でご紹介したVF-21の司令官指定機NE-200番、1979年7月末に嘉手納に飛来したk機体F-4J Bu.No.158378.。ただ その後司令官機は、Bu.No.155740に入れ替えられ厚木基地にも飛来している。
↑ 1960年代のベトナム戦時代の黒いシェブロン塗装に回帰したVF-21のF-4J Bu.No.158378 。1979年7月嘉手納に飛来した時のマーキングを再現してみた。背中には、”CARRIER AIR WING TWO"と書かれている。VF-21は1981年からCVW-14を搭載したUSSコーラルシーに移動し テールレターを”NK"に変えている。