↑ 1991年のVF-41の司令官指定機の塗装例、丁度湾岸戦争への参加もあり、士気高揚の為に多少派手なマーキングが許された時期である。AJ-100 とAJ-101の2機以外は同じデザインながら、グレーの濃淡だけで表現されたロービジ塗装である。Bu.No.162703
↑1976年髑髏マークで有名だった当時のVF-84(Jolly
Rogers)と共に新鋭の原子力空母ニミッツに搭載されたVF-41のF-14Aのマーキング。VF-84に決して引けを取らない素晴らしいマーキングで、F-4時代のマーキングの踏襲とは言え、尾翼のデザインは一流であった。
赤と白が基調の塗装が目立ちすぎることから ロービジ化の波であまり長い期間、使用されなかった。Bu.No.160379
↑ VF-41は、2001年のデプロイメントを最後にFA-18Fに機種交換が始まったが、F-14時代最後を飾ったフルカラーマーキングがこれで、尾翼には、F-14を使った期間である「1976―2001」の文字まで書かれている。尾翼のトランプのベースが初めて真っ白に塗られ、F-14後期の暗いミディアムグレーの胴体に生えるデザインであった。F-14A/ Bu.No.162608
↑ 1997年のVF-41所属機の共通マーキングで これまでとデザインが一新されたタイプ。スペードを貫く赤電光は全機が同様に赤色で描かれたが、機首からコックピットに懸けての伝統のモヒカンラインはダークグレーとなっている。但しModex100と101はモヒカンがグロスブラックで、注意書き等もフルカラーである。F-14A /Bu.No.161160
↑ 暫くの間、司令官指定機も含め派手なマーキングがなかったVF-41に久々に現れたハイビジ塗装で1989年のマーキング。とは言っても尾翼のチップに赤が入りCVW-8の文字が入った程度であるが、部隊の中では目立ったはずである。飛行隊は1988年から空母セオドア・ルーズベルトに乗り換えており、尾翼には空母名も記載されていた。Bu.No.163703
↑ 同じく1981年8月19日 上図のAJ-102と共に離陸したマクジンスキー大尉のAJ-107 "First Eagle-107”。
“First Eagle 102”と共にもう1機のSu-22を撃墜した。このマーキングは、翌1982年NASオシアナに帰還した時のもので 機首にSu-22のシルエットが書き込まれているが、恐らくテロを警戒してかパイロットネームなどは書かれていない。 Bu.No.160390
↑ 1981年8月リビヤ北のシドラ湾で発生した最初の衝突の際、リビヤのSu-22を撃墜したF-14A。コールサイン“First Eagle 102”は、フェニックス、スパロー、サイドワインダーミサイル各2発を装着して空母ニミッツを発艦、同機には飛行隊長クリーマン中佐とRIOビンレット中尉が乗っており、攻撃してきたSu-22をミサイルで撃墜した。Bu.No.160403
↑ 上図と同じくF-14Aでデビュー当時のVF-41のマーキング、当時の写真で一部の機体がコックピット上面を黒色で塗装していない機体があり、このAJ-103も上面一部が白いままである。恐らく風防ガラス枠の交換後に塗装がされない時期の写真かもしれないが、ロービジ化する前は部隊全機ほぼ同一塗装で細かい変化もなかった。ModexはVF-84と共に斜文字は使っていない。Bu.No.160385