VF-41
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Wings
この年のデモフライトはF-14Aだけで8機のフォーメーションを組んだ。VF-11,14,41,143から其々2機づつ参加。8機のF-14Aに続き、VFC-12の4機のFA-18Cがこれに続く。次々と通過する編隊は、Fly-innのような迫力あるシーンを観客に届けた。
F-14Aトムキャットが続々と部隊編成された1970年代、このVF-41飛行隊が最初に身にまとったマーキングは非常にハイセンスなもので、多くの航空マニアを魅了した。右のインシグニアを尾翼にデザイン化して書き込んだもので、白い尾翼に真っ赤なラインが斜めに走り、黒のスペードが中央に配置された。レードームはグロスブラック!!何と派手でハイセンスなマーキングであろうか・・・航空雑誌でこの部隊の写真を見てうっとりしてしまった。

 その後、米海軍上層部が出したロービジ塗装指示の波に呑まれ、VF-41もグレーの地味な塗装に変更する事になるが、この飛行隊が施したマーキングは「これぞ低視認塗装の見本だ」と言わんばかりの地味なマーキングであった。その後もVF-41は、各飛行隊の模範となるようなロービジ・マーキングに徹していた。酷い時は、尾翼に中央に黒の豆粒のようなスペードだけが書かれていた時期もある・・・マーキングが地味だとマニアの関心は薄れてしまうのだが、私にとっては関心だけでなく、殆ど縁も無い飛行隊だった。
VF-41"AJ-110" Taxing in NAS Oceana 1998
上述の通りVF-41ブラックエーセスの記念すべき戦果は、1981819日における地中海シドラ湾上の空戦におけるものである。空母ニミッツを発艦したVF-41隊長クリーマン中佐(AJ-102)は、シドラ湾上空において、迎撃についたリビヤのSu-22フィッターの攻撃を受けた。5Gのブレークでアトールミサイルから逃れたクリーマン中佐は直ぐに反撃に転じた。Su-22をサイドワインダーで撃墜し、僚機のマクジンスキー大尉も1機を撃墜した。しかし残念なことにクリーマン中佐はその後航空事故で殉職している。
F-14A .VF-41 "AJ-112" Taxing in NAS Ocana Oct.1998
↑ 1991年に注目されたもう1機のF-14Aがノーズアートを機首に描いたこの機体。「Queen of Spades」の文字とヌードの女性を書き込んで恐らくCVW-8航空団の中でも最も熱い視線を受けた機体だったであろう。AJ-101は、2000年にもBu.No.162608の機首右側にトムキャットの猫が書かれ話題になった。Bu.No.162688

 1991年のVF-41の司令官指定機の塗装例、丁度湾岸戦争への参加もあり、士気高揚の為に多少派手なマーキングが許された時期である。AJ-100 とAJ-1012機以外は同じデザインながら、グレーの濃淡だけで表現されたロービジ塗装である。Bu.No.162703

 ↑1976年髑髏マークで有名だった当時のVF-84(Jolly Rogers)と共に新鋭の原子力空母ニミッツに搭載されたVF-41のF-14Aのマーキング。VF-84に決して引けを取らない素晴らしいマーキングで、F-4時代のマーキングの踏襲とは言え、尾翼のデザインは一流であった。 赤と白が基調の塗装が目立ちすぎることから ロービジ化の波であまり長い期間、使用されなかった。Bu.No.160379

↑ VF-41は、2001年のデプロイメントを最後にFA-18Fに機種交換が始まったが、F-14時代最後を飾ったフルカラーマーキングがこれで、尾翼には、F-14を使った期間である「19762001」の文字まで書かれている。尾翼のトランプのベースが初めて真っ白に塗られ、F-14後期の暗いミディアムグレーの胴体に生えるデザインであった。F-14A/ Bu.No.162608

 1997年のVF-41所属機の共通マーキングで これまでとデザインが一新されたタイプ。スペードを貫く赤電光は全機が同様に赤色で描かれたが、機首からコックピットに懸けての伝統のモヒカンラインはダークグレーとなっている。但しModex100101はモヒカンがグロスブラックで、注意書き等もフルカラーである。F-14A /Bu.No.161160

 暫くの間、司令官指定機も含め派手なマーキングがなかったVF-41に久々に現れたハイビジ塗装で1989年のマーキング。とは言っても尾翼のチップに赤が入りCVW-8の文字が入った程度であるが、部隊の中では目立ったはずである。飛行隊は1988年から空母セオドア・ルーズベルトに乗り換えており、尾翼には空母名も記載されていた。Bu.No.163703

↑ 同じく1981819日 上図のAJ-102と共に離陸したマクジンスキー大尉のAJ-107 "First Eagle-107” First Eagle 102”と共にもう1機のSu-22を撃墜した。このマーキングは、翌1982年NASオシアナに帰還した時のもので 機首にSu-22のシルエットが書き込まれているが、恐らくテロを警戒してかパイロットネームなどは書かれていない。 Bu.No.160390

 19818月リビヤ北のシドラ湾で発生した最初の衝突の際、リビヤのSu-22を撃墜したF-14A。コールサイン“First Eagle 102”は、フェニックス、スパロー、サイドワインダーミサイル各2発を装着して空母ニミッツを発艦、同機には飛行隊長クリーマン中佐とRIOビンレット中尉が乗っており、攻撃してきたSu-22をミサイルで撃墜した。Bu.No.160403

↑ 上図と同じくF-14Aでデビュー当時のVF-41のマーキング、当時の写真で一部の機体がコックピット上面を黒色で塗装していない機体があり、このAJ-103も上面一部が白いままである。恐らく風防ガラス枠の交換後に塗装がされない時期の写真かもしれないが、ロービジ化する前は部隊全機ほぼ同一塗装で細かい変化もなかった。ModexVF-84と共に斜文字は使っていない。Bu.No.160385