レーダーコーンがF-14A新規配備当時のマーキングになっており、多分何かの理由で本来使っていたコーンから取り替えたものであろう。これだけでも機体の印象がガラリと変わるものである。
VF-51
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1979年10月14日公開された横須賀寄航のUSS Kitty Hawk 甲板上。見物客を甲板に上げる為に航空機用の大型エレべーターを使用したが、これが下に下りる一瞬がこの機体に観客を入れないで撮れる唯一のチャンスであった。コックピット前方から機首先端まで延びるグロスブラックのラインもVF-51の特徴。

この飛行隊は太平洋戦争中期の1943年にVF-1として創設され、その後VF-5に改称され 主に太平洋方面を活動の場とした戦闘中隊であった。太平洋戦争終了後VF-51に改称され 1995年閉隊している。1947年にはジェット化された戦闘中隊となり、朝鮮戦争ではF9F-2パンサー戦闘機で最初の空対空撃墜を成し遂げている。

ベトナム戦ではF-8時代の1968年に2機、F-4B時代には4機の北ベトナム機を撃墜している凄い飛行隊だったのだ。F-4Nに更新後の1977年に一度空母を一旦降り、1978年6月にF-14Aトムキャット戦闘機の受領後、再び姉妹飛行隊のVF-111と共にUSSキティホークに搭載されて航海に出ている。この時の航海で横須賀にも寄港し、我々の目の前に姿を見せてくれたのである。

 1994年のマーキング例であるが、基本的構図は上の塗装例と変わらない。全てのラインとシルエットが黒に変更されたのと機首からコックピットに懸けてのモヒカンラインがミディアムグレーで、うっすらと描かれた所が相違点であるが、遠方から見た場合、部隊識別が取りやすくなっている。F-14A / Bu.No.162602は上から4つ目のイラストと同じ機体で、このマーキング時代に着艦事故で失われた。
↑ 1992年当時のVF-51のマーキングで、ロービジ塗装になってからのVF-51は部隊解散までほぼこの塗装を踏襲した。VF-51の伝統の横3本ラインは復活、鷲のシルエットは白黒を使い分けて描かれていた。1992年当時USSキティホークは、湾岸戦争後のイラク飛行禁止区域の警戒を担当してアラビヤ湾へ派遣されていた。 F-14A /Bu.No.159844
↑ 1989年当時のVF-51所属機の標準塗装、湾岸戦争前であるがロービジビリティの見本のようなグレー色で統一されたマーキングで VF-51のF-14時代で、唯一尾翼の横を走る3本ラインがない。このラインも短く書き込まれているが、鷲のシルエットに添えられている程度である。このF-14BU.No.159856はVF-114から来たものだが、VF-51解散後VF-24移管される等、早期解体のF-14飛行隊を3つも跨いだ機体である。
Wings

↑ VF-51がF-4NからF-14Aに機種転換して最初に載った空母がUSSキティホークである。1979年に横須賀にも寄港しているが、その際CAG指定機となっていた機体が、NL-100/Bu.No.160671で尾翼のラインが5本、上から赤、緑、朱、濃紺、黄の順であった。しかし緑と濃紺が、赤、朱、黄のラインに色負けて見え難い為、3本ラインに見える欠点があった。部隊の標準塗装として機首前方からレーダーコーンの先まで光沢のあるグロスブラック塗装が施された。

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1979年横須賀寄港時、甲板にあったNL-111/.Bu.No.160683。日光の照り返しを抑える機首の上面のグロスブラック塗装がなく、F-14Aデビュー当時のレーダーコーンのオリジナル塗装のままである。この時代はCAG機以外も全機フルカラーで塗装されていた。

↑ 1983VF-51が所属した空母航空団 CVW-15 (NL)が、USSカールビンソンに搭載されるようになった頃のCAG指定機NL-100/ Bu.No.162655。おそらく歴代VF-51のマーキングで一番華やかなもので、尾翼のCAGラインが上から赤、黄、青、朱、緑に変わり、暗い青、緑がはっきり判る配置に並んだ。機首上面グロスブラックのラインはコックピット後方まで延長され、燃料タンクにはイーグルも書き込まれていた。

↑ 足かけ6年載っていたUSSカールビンソンから再びUSSキティホークに戻ったVF-51。時は1991年でロービジ塗装全盛期であったが、ボスバード(隊長指定機)だけは、制限付きで華やかな塗装が認められていた。この時期のNL-100がF-14A/Bu.No.162602、1989年ミラマー公開時でも展示されている。この機体は1994年に空母の着艦ミスで大破している。(乗員は2名とも無事に脱出)