海軍予備役の戦闘機部隊VF-201から仮想敵機役の訓練部隊に転換したVFA-201は、VF-201/202/301/302の4兄弟の中で唯一予算削減の波を乗り切り、生き残った飛行隊で今も活躍中である。
ベトナム戦争が始まる前のアメリカ空軍・海軍の戦闘機部隊は、朝鮮戦争でMig-15を制した自信もあり、戦闘機の概念をミサイルのプラットホームとして発展させるべく舵を切っていた。其の為、F-4ファントムには開発当初固定の機関砲が装備されていなかったし、その次の次期戦闘機として開発されていたF-111にも固定機関砲は付けられなかった。大きなレーダーで遠くから敵を捉え、足の長いミサイルで撃ち落とすと言う考えが主流となっていたのだ。ところが1960年代に始まったベトナム戦でベトナム空軍機と対峙した海軍と空軍は、何と一世代も古いMig-17に新鋭機が次々に落される結果となっていた。しかも空戦は突然展開し、目視で確認できる敵機を信頼性の低い空対空ミサイルで撃つより、機関砲で墜す方が効率も良かった。結局、朝鮮戦争時代の巴戦に回帰していたのである。また、アメリカ軍内では右も左もF-4ファントムばかりで、空戦訓練も大型のF-4ファントムでしか行っていなかった為、小型で軽快な動きを見せるMig-17/21に対応できる空戦技術にも乏しかった。
そこでアメリカ空軍に続き海軍でも、いろいろな種類の敵戦闘機に対応できる空戦技術を磨こうと異機種戦闘を重視したのである。その結果アドバーサリー部隊(仮想敵機飛行隊)を設けた訳で有るが、4個5個と増えたこれらの部隊もA-4スカイホークの引退や軍の予算縮小等で、1995年にはVFC-12とVFC-13の2個飛行隊だけになってしまった。VFC-13はF-5E/Fに機種交換していたので、Mig-29/
Su-27等ソ連の主力戦闘機をシュミレートできるFA-18A飛行隊はVFC-12だけとなり、急遽再編されたのが予備役のVFA-201である。
↑ この飛行隊には、上写真のグリーン系迷彩が集められ、ブルー系迷彩のVFC12と一線を画した。AF-201の尾翼のチップに残された黒の切欠き模様は、VFC-12時代のものらしいが、尾翼に新たに書かれた黒のシェブロンがVFA-201のシンボルである。
↑ AF-100は、CAG指定機のFA-18A/Bu.No.163150
↑ VF-201最後のブルー系迷彩機で、後にVFC-12に移管されたFA-18A/Bu.No.162874。