NASオシアナの誘導路をタキシングするVFA-34のCAG機である。マーキングは1999年の頃と若干異なっており、しかも左右の尾翼のマーキングが異なる。下のサムネールを御覧いただくと、右側に違うマークが入っていることがお分かりになるでしょう。訓練で機首のバルカン砲を使用したようで上面がすすけている。
検死官などの専門家でもない限り、骨だけになった人間を見て生前この骨の人物が男だったのか女だったのか判別できるだろうか?恐らく難しいと思う。しかし江戸時代の著名な画家が描いた「提灯を持った女の骸骨の幽霊」を見ると、彼の作品はその骨格だけで女性と分るほど実に見事に描いている。VFA-34のシンボルであるスカル(頭蓋骨)もよく女性的な雰囲気をよく出している。頭蓋骨の真ん中には着艦する航空機の誘導員がこれまた骸骨姿で書き込まれており、実にユニークなモチーフである。
VF-34は1943年10月に創設された飛行隊で、当初はVF-20と言うナンバーの戦闘機部隊であった。当時グラマン社キャットシリーズの代表格であったF6Fヘルキャットを装備していた。1950年にVF-34に改称され1969年に一度解散する前まではA-4スカイホークを装備した攻撃飛行隊で、主に大西洋方面での任務が多かったようだ。ベトナム戦争の激化に伴い、A-6イントルーダー攻撃機の飛行隊編成が計画され、VA-34もA-6Aの飛行隊として再編された。1973年にA-6Eを受領したが、結局ベトナム戦には参加せずに終わるなど、WWU以後は実戦の経験が無いまま来たが、その後リビアとの戦争の際にベンガジ爆撃や高速艇への対艦ミサイルの発射などを経験している。また1990年のイラクでのデザート・ストーム作戦でも活躍した飛行隊であったが、A-6Eの飛行隊として初めてマーベリックミサイルを運用した飛行隊としても記録されている。A-6E以降は、FA-18Cを装備する戦闘攻撃飛行隊としてNASオシアナを本拠地にして活躍し、2019年2月FA-18Eに転換している。
AA-200 (Right Side)
AA-203
AA-206
VFA-34's Insignia on Hanger
New Insignia of VFA-34
AA-201
AA-204
AA-211
AA-200 (Left Side)
AA-210
AA-207
AA-203
AA-200