VFA-81のFA-18Cは1991年のデザート・ストーム作戦において、爆撃任務中2機のMig戦闘機を赤外線追尾ミサイルで破壊し、湾岸戦争における海軍航空隊唯一のMigキラー飛行隊となっている。
(AA-412)
(AA-403)
(AA-406)
(AA-412)
厚木で海軍機を中心に写真を撮っている航空ファンにとって、ベトナム戦争が終結した1970年代中期以降は、大西洋方面に配属されているアメリカ海軍の飛行隊は殆ど縁の無い存在となっていた。雑誌でたまに見る各飛行隊のマーキングも,特徴のあるマークとか特定の動物の絵柄などが入っていれば記憶に残るのだが、VF-81のようにただ赤いシェブロンだけが書かれている部隊は、その存在すら記憶に残らないでいた。
しかし、コレクターの性分というもの、同じ種類のものが1つ2つ手に入ると途端にそれをもっと揃えたくなってしまうのである。私にとっても関心の薄い飛行隊だったが、オシアナでこの飛行隊を数機撮影できたら翌年からVFA-81に強い関心を持つようになった。
VF-81は1955年に創設された部隊で、最初はF9Fクーガ−戦闘機を受領した迎撃戦闘機部隊であった。部隊名も”Black Cougers”と名乗り、,黒いクーガーをインシグニアに使っていた。その後、1959年にA-4Bスカイホークが装備されて攻撃飛行隊に改変された。この時からマッハウエーブを象徴する赤いシェブロンを部隊マークに採用するようになったと言われる。A-7Eを1969年12月に受領し,これが大西洋方面での初のA-7Eの実戦部隊配属と記録されている。この部隊殆ど大きな戦争への参加経験が無い部隊でその点は珍しい、リビヤとの緊張が高まったシドラ湾事件の際に一部戦闘に参加しているが、対レーダーサイトミサイルHARMを用いた攻撃が主任務だったようだ。
1987年にFA-18Cに更新され、2008年にはFA-18Eスーパーホーネットに更新されている。スパホに更新後は、シャークマウスをつけたCAG塗装が話題となっていた。
FA-18Aに入る前にまずはA-7E時代のマーキングをイラストでご紹介しよう。
1974年当時のVA-81のA-7Aの400番CAG塗装である。尾翼ラダーにはCVW-17各飛行隊のスコードロンカラ―でマッハシェブロンが書き込まれていた。また 機首の20mmガン(M-61A)の砲口付近もシェブロンとデザインをまとめている。USSフォレスタルに載っていた期間は1971年から1982年の11年間と長い。1974年には同じNATO軍の一員であるトルコとギリシャとの間で紛争となったキプロス紛争時、地中海上のフォレスタルからキプロスの上空監視任務にも就いている。
1999年9月、オシアナ海軍航空基地にラインナップするVFA-81のFA-18C
1980年のCAG機塗装。少しだけ低視認性マーキングへの意識が働いたような微妙なマーキングに変化している。しかし レター類が白色に替わってもシェブロンの赤色は反って目立つように思える。VA-81は、翌年1981年にフォレスタルで地中海に入り、イスラエルとシリア間の紛争に関連してこの地域での監視活動を行っている。丁度リビアのカダフィ大佐がシドラ湾の領海宣言を行っていた時期で、合わせてリビア船舶などの監視活動をしている。
2005年10月オシアナで見かけたVFA-81のCAG機”AA-400”。テールレターはラダーの手前に書かれるようになった。
Their Old Insignia
1976年の建国200周年塗装、所謂バイセンティニアル・マーキングである。赤いシェブロンの中には”THES IS OUR COUNTRY 1776-1976"と書かれていた。機番”401”は星条旗をモチーフとしたデザインである。ロービジ塗装が普及し始める1980年まで、この部隊はA4D-2スカイホーク時代からの伝統であるこの大きな赤いシェブロンを全機が尾翼に掲げて飛んでいた。
(AA-400)