VFA-87
1968年ベトナム戦がたけなわの頃に創設された攻撃飛行隊である。1968年ベトナムではテト攻勢が旧正月初日の1月30日から始まっていた(テトとは旧正月の事)。このテト攻勢ではベトコンだけでなく北ベトナム軍本体が南ベトナム全土で大攻勢をかけ、戦争の転換期に当たる年となった。それまで和平を模索していたアメリカは焦り再攻勢に転じることになる。米海軍も空母攻撃機の需要が最も高い時期で多くの攻撃飛行隊が創設投入されている。

 このVA-87は尾翼の赤いラインがシンボルと思っていたが、何とUSSタイコンデロガで太平洋方面に配属された最初は青いラインをボディに描きデビューしていたのである。最初に装備された機体はA-7Bで、創設から間もない1969年5月最初のベトナム派遣となり、主に南ベトナムでの敵の掃討を担当した。ベトナム戦参加は1度のみで1971年から大西洋方面に移動し、その後長きに渡り大西洋方面専従のように動かず現在に至っている。その為、日本でこの部隊にお目にかかることはなかったが、尾翼に描かれたインディアンのシルエットは印象的で大抵の航空ファンは知っている飛行隊であった。

 A-7Eを受領したのは1976年と言うから、丁度私が写真に没頭し始めたころであるが、部隊の存在は知っていてもまったく撮れる見込みの無い飛行隊だったから関心もなかった。機種をFA-18Aホーネットに換えて後ではあるが、私もNASオシアナに行くようになってから撮れるチャンスも出てきた。しかし、オシアナに行く度にエプロンを探し回ったが、どういう訳か毎年この部隊とシスタースコードロンのVFA-15だけは、撮影の機会に巡り合う事が少なかった。縁が薄いのだろう…今は機体に”WAR PARTY”と書かれている。イラストは憧れのA-7B/E時代のものを並べてみた。
1969年にトンキン湾にいたUSSタイロンデロガ搭載のCVW-16時代からこの派手なマーキングである。テールレターは”AH”、機番は300番台をつけていた。上のイラストは、1970年VA-87がUSSルーズベルトのCVW-6に移動した後のものである。テールレターは、”AE”に変わり、機首の番号も400番台になっている。VA-87はベトナム戦では一機も失うことなく、ベトナムを離れ平和な大西洋方面に移動していった。
1976年アメリカ建国200周年の頃のVA-87のA-7E。マーキングは今のFA-18にも継承されている赤を基調としたもの。大西洋方面のA-7E部隊でマーキングの人気度からいえば1番2番を争う存在であった。VA-87の”7”は、A-7コルセアUとして生まれた部隊であることを指すらしく、末尾7番の部隊ナンバーを持つA-7部隊は多い。イラストは空中給油用のバディーポッドをSta.-8につけた形式をイラストとした。

1979年CAG(空母航空団指令)機であるが、インデアンの冠の鷲の羽の色を色分けしたタイプである。1977年版CAG機とは若干デザインが異なるようだ。1977年頃のものはラダーの星を色分けしていた。この時期は尾翼の帯に部隊名である”GOLDEN WARRIORS”の文字を黄色で入れていたが、1979年版400番機には書かれていない時期もある。この機体のようにラダーの星もないと あっさりして見える。なお機首ジェットインテークの注意書きの上に描かれたインディアンの斧にパイロット名が書き込まれている。

Wings
VFA-87のFA-18Cの内、AJ-400とAJ-401の2機はカラーマーキングである。尾翼のインディアンは黄色の鳥の羽の冠を被り,顔には刺青が入っている。他の機体はA-7時代同様,黒のシルエットになっているが、背中の”VFA-87”はインデアンの矢尻でラインを締めている。CO機(飛行隊長機)の尾翼や上写真のAJ-407号機の燃料タンクにに書かれた”WAR PARTY”は 戦闘集団と言った意味であろう。
2006年時点でのVFA-87の400番 CAG機は、尾翼左にCVW-8のインシグニア、 右は、インディアンの横顔となっている。Bu,No,164687
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